ブレーメ(Breme)

2023年9月10日(日)、三番目に訪れたのは Breme。サン・ピエトロ修道院(Abbazia san Pietro)です。

ここは、地下聖堂に息をのみます。

2023年、修道院は、ブレーメ村役場(Comune di Breme)が開いている時間と、日曜日の15:00〜17.30に開いていました。

目次

1. Breme へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 地下聖堂 .

1. Breme へ

ブレーメ(Breme)は、ロンバルディア州のロメッリーナ(Lomellina)と呼ばれる地域にあり、パヴィアの西約43kmに位置します。

ポー(Po)川とセジア(Sesia)川の合流点にある人口約850人の小さな中世の村です。

西側遠景

写真の中で、右がブレーメ村役場(Comune di Breme)、左が修道院の門。

門を入って正面に地下聖堂があります。

2. 概要

修道院の内外に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

906年に、アダルベルト・ディヴレア(Adalberto d’Ivrea)侯爵が、サラセン人の襲撃によって追放されたノヴァレーザ(Novalesa)のベネディクト会修道士たちにブレーメ(Breme)の館を寄進し、修道士たちはサン・ピエトロ修道院(Abbazia san Pietro)を建設した。修道院は10世紀から13世紀にかけて、イタリアとヨーロッパで最も重要な修道院のひとつとなった。

1306年、ブレーメ(Breme)はガレアッツォ・ヴィスコンティ(Galeazzo Visconti)軍に包囲され、征服された。1542年、ノヴァレーザ修道士は、モンテ・オリヴェート(シエナ県)から来たオリヴェート会修道士に引き継がれた。現在、修道院はコムーネ(自治体役場)の場所となっている。

この後も、案内掲示等を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示に平面図がありました。東が右です。

案内掲示より

では、行きましょう。

4. 地下聖堂

地下聖堂は10世紀に建てられたもので、かつての修道院の唯一の痕跡である。

「CRIPTA」という表示にしたがって進みます。

地下聖堂の入口
階段

階段をおりると、、、

わお。

内陣にて西を向く

川の丸い石が敷きつめられた床がとても美しい。

4本の角柱部分が身廊で、4本の円柱部分が聖域だと思います。

原始的な石組みは、川の小石を混ぜた煉瓦造りである。この空間を覆っていたであろう漆喰の一部が残っている。4本の円柱はおそらく地元であるロメッロ(Lomello)近郊から運ばれたもので、3本は石造り、1本は白い大理石製である。

白い大理石の円柱はローマ時代のものを再利用したのかもしれません。

この地下聖堂は、修道院教会の内陣の下にあった。元来、地下聖堂は西に向かってさらに三つの柱間が続いていたと思われる。

もっと長かったんですねえ。

小さい井戸(POZZETTO)は、10世紀に修道院と地下聖堂が建設されたときには存在せず、後に建設された。

西壁、4本の煉瓦の柱、煉瓦の丸天井の一部は、18世紀に作られたものである。

発掘調査により、オリジナルの床の一部、祭壇(Altare)、聖遺物箱(Reliquiario)の長方形の台座が発見されている。『Cronaca Novalicense』には、聖人フロンティニアーノ(Frontiniano)とシルヴェストロ(Silvestro)の聖遺物が、980年から985年にかけてアルバ司教(Vescovo di Alba)からブレーメ大修道院長(abate di Breme)に寄贈されたことが記されている。

ノヴァレーザ(Novalesa)が危機にみまわれたときも、修道士たちは、ここで祈りの日々を過ごしていたのでしょう。

サン・ピエトロ修道院(Abbazia san Pietro)。地下聖堂に息をのみます。

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