ヴェレッツォ・ロメッリーナ(Velezzo Lomellina)

2023年9月9日(土)、最初に訪れたのは Velezzo Lomellina。Pieve di Velezzo です。

ここは、建物の外観と佇まいがいいです。

2023年、教会は、敷地内に住んでいる管理人(custode)に電話予約すると訪問できました。custode の電話番号は役場で教えてもらえます。

目次

1. Pieve di Velezzo へ .
2. 概要 .
3. 外観 .
4. 内観 .

1. Pieve di Velezzo へ

Pieve di Velezzo は、ロンバルディア州にあり、パヴィアの西約32km、ヴェレッツォ・ロメッリーナ(Velezzo Lomellina)の村から1kmほど外れた、田園の中にあります。

南側遠景

教会の東には、アゴーニャ(Agogna)川のせせらぎ。右側に写っている木々のところが川岸です。

水が豊かで、金色の稲穂が風になびいて、私は心がすっかりやわらぎました。

2. 概要

ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『LOMBARDIA ROMANICA VOL II』(以下「Jaca Book」)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

中世初期にはロメッリーナ(Lomellina)地域にあった洗礼教会ネットワークの一部であったことは確かであり、また、この場所がローマ時代に起源を持ち、初期のキリスト教集落であったことは、最近の考古学的発掘調査や、瓦礫の中から建築資材が大量に再利用されていることからも確認できる。にもかかわらず、このピエーヴに関する最古の記録は非常に遅く、13~14世紀の経済・行政文書に見られる。

1460年10月1日の司牧訪問記には、教会が廃墟と化し、荒涼とした廃墟の様子が描かれている。翌世紀、1565年と1576年の訪問記録によると、教会は修復されたようだが、洗礼堂は、泉水が教会に運ばれた際に放棄され、倉庫に変貌し始め、素朴な建物に取り込まれて隠され、最後には内部が仕切られた。

教会と洗礼堂の修復が完了したのは1880年代末のことであるが、石組みが12世紀末から翌世紀初頭のものと思われる古い司祭館の部屋の修復はまだ完了していない。修復作業では、教会の南壁に寄りかかり洗礼堂の方向へ伸びていた平屋、洗礼堂の円形の胴体の周りにつくられていた上階、アトリウムの上階と洗礼堂の内側の床が取り除かれた。漆喰を剥がすと、教会と洗礼堂の壁面が再び姿を現した。

石組みの分析と装飾部分の分析の両方から、パオロ・ヴェルツォーネ(Paolo Verzone)が1936年に提唱した年代(10世紀後半から11世紀初頭のものとする説)を確認することができた。

この後は、管理人から聞いた話を引用する時に太字で書きます。

3. 外観

左が教会、右(2本の木の向こう)が洗礼堂です。

西側外観

注目したいのは、洗礼堂。

この辺りでは、洗礼堂と言えば八角形です。

その理由については、バッツアーノ(Bazzano)でもらった小冊子に書いてありました:

教父たちの教えによれば、キリストは安息日から8日目に復活した。8という数字は、洗礼堂や洗礼盤の形の場合、主イエスの過越を象徴的に数字で表すものとして想定された。そして、聖アンブロシウスによれば、八角形の洗礼盤は、新たに洗礼を受けた者が真の永遠の命、すなわちキリスト教の洗礼における聖霊の注ぎによって与えられる命に至る入口を示すようになった。この概念は、八角形が永遠のイメージであるとするピタゴラス哲学のシンボリズム(帝国の霊廟は八角形のプランで建てられていた)と、より効果的に重なり合っていた。

でも、ここの洗礼堂は円形。

円形の洗礼堂は九つしかありませんが、これはそのうちの一つです。ロンゴバルド起源と言われています。

南西側外観

レンガが豊富に使われています。

南側外観

アトリウムも、アーチの形やその下の石積みが円形の建物と共通しています。

少なくともアーチ部分のあたりは、アトリウムも円形の建物と同じ時期に作られたかもしれません。

4. 内観

洗礼堂の中に入ります。

アトリウムから東を向く

わずかに磔刑像が確認できますが、がらんどうです。

フレスコ画も洗礼盤も盗まれました。10年くらい前から、私が隣に住んで、ここが荒らされないようにしているんです。

ドームが美しいです。

ドーム

Pieve di Velezzo。建物の外観と佇まいがいいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です