2023年9月2日(土)、唯一訪れたのは San Benedetto Po。サン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院(Abbazia di San Benedetto in Polirone)です。
ここは、サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)に残る床モザイクが素晴らしいです。
サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)を含むエリアの見学は、有料(€5)のガイドツアーに参加します。基本的に土日(9:30〜12:30と15:00〜18:30)です。
目次
1. San Benedetto Po へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. San Benedetto Po へ
サン・ベネデット・ポー(San Benedetto Po)は、マントヴァ(ロンバルディア州)から南東に約17km。
古名をサン・ベネデット・イン・ポリローネ(San Benedetto in Polirone)と呼ぶこの町は、ベネディクト会修道院を中心に、川岸に発展しました。
三つの回廊、チャプターハウス(集会所)、リフェクトリー(食堂)などを備えた、実に広大な複合施設です。
2. 概要
案内板による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
1007年、ポー(Po)川とリローネ(Lirone)川に挟まれた島からその名を取ったサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院(Abbazia di San Benedetto in Polirone)は、マティルデ(Matilde)の祖父であるテダルド・ディ・カノッサ(Tedaldo di Canossa)によって設立された。
1077年、修道院は、教皇グレゴリウス7世の要請により、マティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)が執り成して、クリュニーに寄贈された。修道院はすぐにヨーロッパで最も重要な拠点のひとつとなり、北のモンテカッシーノと呼ばれるようになった。
1420年、この修道院はパドヴァの聖ユスティーナ修道会(Congregazione di Santa Giustina)に併合さた。その後、何世紀にもわたって芸術的、建築的に大きな改修が行われ、回廊や建物が建設された。
1797年、修道院はナポレオン・ボナパルトによって弾圧された。
この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
案内板に平面図がありました。東が上です。
1. サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)12世紀
2. 木製のクワイヤ(Coro ligneo)16世紀
3. マティルデの墓(Tomba di Matilde)15〜18世紀
4. 記念聖具室(Sagrestia monumentale)16〜18世紀
5. 周歩廊(Deambulatorio)11〜18世紀
「3. マティルデの墓(Tomba di Matilde)15〜18世紀」の中に、彼女の亡骸はありません。彼女の亡骸はヴァティカンにあります。
私がイタリアに留学した時のホスト・シスター(敬虔なカトリック)によると、ヴァティカンに葬られている女性はたった3人。その中のひとりが、マティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)です。とっても名誉なことらしい。
カノッサ(Canossa)の案内板によると、マティルデは1115年に亡くなると、ここ、サン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院(Abbazia di San Benedetto in Polirone)に葬られました。
その後、修道院が彼女の亡骸をヴァティカンに譲ったらしいんです。
4. 外観
ガイドツアーに参加するには、ファサードの左にあるアミーチ・デッラ・バシリカ(Amici della Basilica)のオフィスに行きます。赤い丸印で示した場所です。
夫と私は、そのオフィスに行きました。10:30頃のことです。ちょうどガイドツアーが始まったところだから、それに加わるよう言われました。
5. 内観
ガイドツアーは、身廊や側廊の16世紀のフレスコ画やテラコッタ像を鑑賞することから始まります。
1540年から1546年にかけて、修道院長グレゴリオ・コルテーゼ(Gregorio Cortese)はロマネスク様式の教会の修復をジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)に依頼した。この建築家は、中世の建物をローマ・ルネッサンス様式に改築した。3つの身廊はすべてフレスコ画で飾られ、16世紀の芸術家たちによる16枚のキャンバスが飾られている。側廊は32体のテラコッタ像で飾られている。
しばらく待つと、サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)に行くことができました。
案内掲示がありました。
サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)は、修道士たちの第二クワイヤであり、「病者の回廊」に隣接する病者の教会でもあった。その機能は、クリュニー(1077年以来ポリローネが併合された)の典礼習慣を踏襲した修道院の典礼習慣の写本(パドヴァ大学図書館所蔵ms.959)により知ることができる。クリュニーにも同じような配置(単一の身廊、三つの後陣、翼廊、交差部塔、身廊と交差部の間に三重のアーチ)で、同じ機能(病者の教会、葬儀の教会、第二クワイヤ)を持つ Oratorio S. Maria があった。 修道士たちは毎日、典礼の礼拝のため、主教会のクワイヤから行進した。身廊の壁を背にして2列に並び、木製の座席に座った(現在のものは18世紀のもの)。また、亡くなった修道士は埋葬の前に Oratorio S. Maria に運ばれた。伝承によれば、修道院に埋葬されるまで、女伯マティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)もここに安置された。
かつて、この教会には二廊式の玄関間(vestibolo)もあり(クリュニーにはない要素)、主教会と回廊をつないでいた。15世紀に vestibolo は教会から切り離され、その後一部が取り壊された。また南翼廊と三つの後陣も取り壊された。
Oratorio S. Maria は、1085年(クリュニーの Oratorio S. Maria の建設)以降、1151年(トランセプトの床モザイクに書かれた年代)以前のものである。モザイク床に先立って、コッチョペースト(cocciopesto、細かく砕いたレンガ片を入れた石灰モルタル)の床があったようである。一方、教会は全体が十字ヴォールトで覆われており、12世紀初頭以前とは断定できない(主教会はおそらく1130年に奉献された)。
美しい床のモザイク(12世紀半ば)は、翼廊、交差部と身廊の中央部分を覆っていた。
身廊には断片しか残っていませんが、交差部のモザイクはしっかり残っています。
七つの「大罪」の動物は、「誤りの道」を示すために四つの枢要徳の下で逆さまに描かれている。
見やすいように、画像を180度回転させて、並べます。
七つの大罪は、傲慢(superbia)、強欲(avaritia)、嫉妬(invidia)、憤怒(ira)、邪淫(luxuria)、貧食(gula)、怠惰(pigritia または acedia)だと思います。でも、どのモザイクが何の大罪を表しているのか、私にはよくわかりません。
中央には四つの枢要徳が描かれています。
四つの枢要徳は賢明(sapientiaまたはprvdentia)、正義(ivstitia)、剛毅(fortitvdo)、節制(temperantia)です。
左側にはグリフォンと戦う青年が描かれています。青年の勝利でしょう。青年の槍はグリフォンを突き、血しぶきが上がっています。
右側にはドラゴンから身を守る神聖なユニコーンが描かれています。
ユニコーンは手足がすらりと長くて、優美な姿です。
サン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院(Abbazia di San Benedetto in Polirone)。サンタ・マリア小礼拝堂(Oratorio S. Maria)に残る床モザイクが素晴らしいです。
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