サン・チェザリオ・スル・パナロ(San Cesario Sul Panaro)

2023年9月1日(金)の最後、二番目に訪れたのは San Cesario Sul Panaro。Chiesa Parrocchiale di San Cesario です。

ここは、ブルゴーニュの影響を受けた浮き彫りの断片が素敵です。

目次

1. San Cesario Sul Panaro へ .
2. 概要 .
3. 外観 .
4. 内観 .
 

1. San Cesario Sul Panaro へ

サン・チェザリオ・スル・パナロ(San Cesario Sul Panaro)は、モデナの南東約13km、南にパナロ(Panaro)川が流れる、田園の中にある町です。

南東側外観

夫と私は教会の南に車を停めました。13:45頃のことです。

教会の西には店舗やアイスクリーム屋が並び、にぎわっていました。

2. 概要

教会の外に案内掲示がありました。私が一部を引用して太字で和訳します。

825年、ウィルザカラ(Wilzacara)と呼ばれていた近くの所領がノナントラ大修道院に寄贈された。ベネディクト会の修道士たちは修道院と教会を建設し、サン・チェザリオ(San Cesario)に捧げた。

教皇ハドリアヌス3世は885年にこの地で死去し、彼の信仰を広めた修道士たちによってノナントラに埋葬された。

この地は、トスカーナ侯ボニファチオ(Bonifacio)の所有となった後、彼の娘マティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)の所有となり、1112年にサン・チェザリオの聖職者に寄贈された。

ちなみに、Matilde の没年は1115年です。

ある仮説によると、この建物の最も古い部分は後陣で、その起源は5世紀に遡るローマ時代の霊廟であり、その後にビザンチン時代とロンバルド時代に形を変え、最終的に11世紀にロマネスク様式に改修されたと考えられている。

最近の研究によると、中世の礼拝堂が取り壊された後、教会全体が12世紀(後陣とアーチは1112年頃、身廊は1134年以降)に再建されたという。教会は、1134年サン・ベネデット・ポー修道院(monastero di San Benedetto Po)の所有となった。

1404年からこの地の封建領主であったボスケッティ(Boschetti)家の紋章が描かれた墓には、ボスケッティ伯爵が眠っている。

この後も、案内掲示 を引用するときは太字で書きます。

3. 外観

西側に行きます。

北西側外観

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Emilie romane plaine du Po』によると、バロック時代に改築され、現代になってから抜本的な修復が施されるという、よくある変遷を経たそう。

4. 内観

教会の中に入ります。

静かで、荘厳な佇まいが、素晴らしい。

バロック様式を取り除いて12世紀頃の姿に戻す抜本的な修復が、成功した例のように思います。

南側廊に行きます。

ブルゴーニュの影響を受けた12世紀の浮き彫りの断片が、南扉口の近くにあり、人物の一部、ライオンの頭と天使が描かれている。

衣服のひだが柔らかい線で彫られていて、軽快です。

12世紀の浮き彫りの断片

モンテフィオリーノ(Montefiorino)の案内板に、マティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)がクリュニー様式を強く支持して、それに倣った建築を進めたと書いてありました。

ブルゴーニュの影響を受けた浮き彫りがこの教会にあるのは、Matilde に関係があるかもしれません。

12世紀の浮き彫りの断片(別角度)

天使。翼は繊細、顔はちょっといかつい。ギャップが良いです。

Chiesa Parrocchiale di San Cesario。ブルゴーニュの影響を受けた浮き彫りの断片が素敵です。

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