サーラ・ボロニェーゼ(Sala Bolognese)

2023年9月1日(金)、最初に訪れたのは Sala Bolognese。Chiesa Parrocchiale di Santa Maria Annunziata e San Biagioです。

ここは、かなり忠実にロマネスク様式を復元した教会です。オリジナルが残る主後陣の外観が良いです。

目次

1. Sala Bolognese へ .
2. 概要 .
3. 外観 .
4. 内観 .
 

1. Sala Bolognese へ

サーラ・ボロニェーゼ(Sala Bolognese)は、ボローニャの北西約15km、平野の中の町です。

西側外観

教会は、広い緑地に囲まれ、赤レンガ造りのロマネスク様式の落ち着いたラインで建っています。

2. 概要

現地には案内がみあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Emilie romane plaine du Po』による概要です。私が一部を引用して太字で和訳します。

1924年に抜本的に修復された11世紀の建物である。

その歴史は、サラ(Sala)の領地と城(現在は破壊されている)に関連している。ノナントラ大修道院の領地の一部であったが、サラ伯爵家に権限が与えられた。ハインリヒ4世とローマ教皇庁との闘争において、サラの領主はマティルデ・ディ・カノッサ(Matilde di Canossa)の教皇派を支持し、モンテヴェリオ(Monteveglio)の防衛に積極的に参加した。その後、サラ伯爵家は、一族の隆盛を祝うために、すでに存在していた教会を再建させた。

教会が再建された1096年は、ファサードに刻まれた碑文によって示されている。

ファサードに刻まれた碑文

13世紀の初め、サラ伯爵家はボローニャとの戦いに敗れ、その領地は消滅した。1453年、教区の権利はボローニャのサン・サルヴァトーレ修道院(monastero di San Salvatore)に移り、教会には大司祭と6人の修道士が配属された。

18世紀に修道士らは教会を改築。ファサードを再建し、地下聖堂を埋め、高さのある内陣を取り壊し、天井を置き換え、壁をバロック様式の漆喰と漆喰装飾で覆った。鐘楼と聖具室に挟まれた主後陣以外、ロマネスク様式の教会は何も残らなかった。その後、ナポレオンの弾圧により、教会はすべての土地を奪われ、単なる教区の地位まで落とされた。

1920年までに、教会は非常に荒廃した状態になっていた。1920年から1924年にかけて修復が行われた。バロック様式の壁の下にある建造物が保存されていたため、かなり忠実な修復が可能であった。18世紀のファサードと鐘楼は取り壊され、北側廊とその上の小鐘楼が再建され、内陣、説教壇と地下聖堂が再建された。

この後も、ゾディアック(Zodiaque) を引用するときは太字で書きます。

3. 外観

東側に行きます。

ファサードの南側にある鐘楼は、1926年に建てられた完全に独立した近代建築である。

南東側外観

両側の小後陣は再建されているが、中央の後陣だけはオリジナルのものである。

東側外観

主後陣は、煉瓦の付け柱によって五つに分割され、三つの窓が上下二段あり、それぞれ内陣と地下聖堂を照らしている。バロック様式の大きな窓が塞がれて上段の窓が再び開けられたが、下段の窓はそのまま保存されている。

主後陣の上のほうの装飾が珍しいと思います。盲アーチの下に、M字の盲アーチがあるの。

4. 内観

教会の中に入ります。

内部は、三つの身廊と三つの後陣からなるバシリカ式で、頑丈な四つ葉の柱によって七つの柱間に分けられています。

身廊にて東を向く

ロマネスク様式の断片(実際にはほとんどない)を基に再建された、大理石の説教壇がある。

身廊にて北東を向く

主祭壇は、円柱の上にテーブルを載せたもので、オリジナルの祭壇である(テーブルの下には、ヤギの頭を持つローマ時代の彫刻がある)。

チボリウムは完全に近代的な作品である。

内陣

地下聖堂は完全に改築されている。円柱は、新しい柱頭を戴いている。

地下聖堂にて東を向く

Chiesa Parrocchiale di Santa Maria Annunziata e San Biagio。かなり忠実にロマネスク様式を復元した教会です。オリジナルが残る主後陣の外観が良いです。

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