ビッツォゼロ(Bizzozero)

2023年8月28日(月)、唯一訪れたのは Bizzozero。サント・ステファノ教会(Chiesa di Santo Stefano)です。

ここは、勝利アーチのフレスコ画が素敵です。祭壇にもフレスコ画が残ります。後陣の外観も良いです。

私は WhatsApp で訪問を予約しました。

目次

1. Bizzozero へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
Airbnb.  

1. Bizzozero へ

ビッツォゼロ(Bizzozero)は、ミラノから北西に約45km、スイス国境から南西に約7kmの位置にある町です。

南西側外観

あいにく土砂降りでしたが、私の訪問の希望を快く受け入れてくれた Michela さんは、約束通りに来てくれました。もうそれだけで、実にありがたいことでした。

その上、彼女はとても丁寧に教会の中と外を案内してくれました。さらに、私に一冊の本をくれました。

Giuseppe Terziroli, L’ITINERARIO DELLA FEDE Sacralità e arte in Santo Stefano, Varese, 2010

(著者は研究者ではありません。Bizzozero 生まれでヴァレーゼ(Varese)市の議員を務め、美術に情熱を注ぐ人物です。)

私は、こころから感謝をこめて、このページを書いています。

2. 概要

Michela さんから聞き取った内容と、本(G. Terziroli, L’ITINERARIO DELLA FEDE Sacralità e arte in Santo Stefano, Varese, 2010)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

海抜379メートル、オロナ(Olona)渓谷の一部を見下ろす丘の上に位置する Bizzozero は、常に戦略上重要な位置を占めてきた。紀元前6~5世紀にはすでにリグーリア人が居住していた可能性があり、1881年にはガリア人の墳墓が発見されている。学者によると、地名の語源はガリア人に遡る。方言でBYGIOGIARと発音する Bizzozero は、教会を併設したガリア人の小屋群を示す。

1世紀、ヴァレーゼ(Varese)を征服したローマ人は、 Bizzozero にも定住し、痕跡を数多く残した。

キリスト教時代の最初の建物がいつできたのか、正確にはわからない。

おそらくシルヴァヌス神に捧げられた古代の神殿の遺跡の上に建てられているのであろう。

最も古い信頼できるデータは、1970年代の最初の5年間に行われた修復作業で得られた。ひとつはおそらく7世紀以前のもので、もうひとつはロンゴバルド時代と後のカロリング朝時代(7~8世紀)のものである。

11世紀半ば、聖ステファノのオラトリオは、10世紀以降の人口増加に伴い、再建された。構造は非常にシンプルで、石組みは不規則な石と近くのオロナ(Olona)川で採れる小石でできている。

しかし、建築に携わった職人たちは専門家ではなかったようである。彼らは教会の基礎工事を行わず、広い開口部を持つ半円形後陣を造ったが、11世紀のうちに早くも崩壊した。

11世紀後半、聖ステファノの新たな修復が行われた。前述の後陣の崩壊によって、後陣は、より広い周縁軌道に沿って再建されることになった。そのことは、教会内部で後陣の右側に幅の狭い土台が発見されたことで判明した。

この後も、本(G. Terziroli, L’ITINERARIO DELLA FEDE Sacralità e arte in Santo Stefano, Varese, 2010)を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

現地には平面図が見当たりませんでした。本(G. Terziroli, L’ITINERARIO DELLA FEDE Sacralità e arte in Santo Stefano, Varese, 2010)による平面図です。

A:ローマ時代の墳墓
B:7~8世紀以前の建物跡
C:7~8世紀の Chiesa di Santo Stefano
D:9世紀の鐘楼
E:11世紀の Chiesa di Santo Stefano。

4. 外観

後陣が美しい。

南東側外観

南扉口は、素朴なロマネスク様式のアーチ装飾が素敵です。

南側外観

壁には、石をヘリンボーン状に並べたオプス・スピカトゥムの石積みが残っています。

5. 内観

教会の中に入りました。

写真の中で右に写っている小柱と天蓋のある部分は、聖母マリアに捧げられた受胎告知礼拝堂(Cappella dell’Annunciazione、14世紀)です。

身廊にて南東を向く

身廊の床に、いくつもの線や、色の違う部分があります。これらは、考古学的調査で確認された墓や、かつての建物の位置を示しています。

身廊にて東を向く

多くの絵画は14世紀〜16世紀に描かれたものです。

ロマネスク期に描かれた絵画は、祭壇と勝利アーチに残っています。

祭壇

聖ステファノ?と言われている聖人像。

石を投げられて眠りにつく様子が新約聖書の『使徒言行録』6章、7章、8章に詳しく書いてあります。最初の殉教者とされてまして、絵画などにもしばしば登場するんです。石ころをくっつけてる聖人像を見かけたら、それはきっと聖ステファノ。

でも、この絵だと、はっきり分かりません。

祭壇の聖人像(聖ステファノ?)

こちらは聖アンブロシウス。4世紀のミラノの司教です。聖アンブロシウスについては、モザイク画などが残っているので、特定しやすいのかも。

祭壇の聖人像(聖アンブロシウス)
勝利アーチ

内陣の左右にある隙間に、かつての勝利アーチがあり、ロマネスク様式の絵画が残っています。

暗くて見づらいかしらと思ったら、なんと、照明が用意されているんですね。気が利いています。

Michela さんが点灯してくれました。

点灯前
点灯後

内陣の左(北)側には、槍を持ったひげのない若い兵士と、後陣中央に向かって右腕を挙げるひげ面の君主の2人の人物が描かれています。

勝利アーチ左(北)側

凛々しい眉やひげ、立派な衣装などが色鮮やか。驚きです。

内陣の右(南)側には、杖のようなものを持った聖人が描かれています。

勝利アーチ右(南)側

こちらの聖人は、細い手指や赤い頬が素敵です。

分析は難しいが、これらのフレスコ画は11世紀後半か、せいぜい12世紀の初め、つまり後陣の新築から数年か数十年後のものと考えられる。

サント・ステファノ教会(Chiesa di Santo Stefano)。勝利アーチのフレスコ画が素敵です。祭壇にもフレスコ画が残ります。後陣の外観も良いです。

〜Airbnb〜

この日の全ての見学を終えた私は、南西に約40km、40分ほど車を運転してマルペンサ空港に夫を迎えに行き、その後、ミラノの北約30kmの町 Albiate にある Airbnb にチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室二つという間取りのアパートメントです。車は敷地内に駐車できました。

2人で2泊の総額が€ 138.63 EURでした。

台所兼食堂兼居間

必要なものは全て揃っていて、ホストは親切で、とても居心地が良かったです。

ようやく、夫が旅に加わります。

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