アッピアーノ(Appiano)

2023年8月13日(日)、三番目に訪れたのは Appiano、アッピアーノ城礼拝堂(Cappella di Castel d’Appiano)です。

ここは、壁画が素晴らしいです。有名な「クヌーデル(Knödel)を食べる人」があります。

2023年は、礼拝堂は4月1日から8月末までは木曜から日曜まで、9月1日から11月6日までは木曜から火曜までガイドツアーで見学できました。ガイドツアーのスケジュールは11:00、12:00、13:00、14:00、15:00、16:00。基本的にドイツ語のみで、有料(€8)です。

目次

1. Castel d’Appiano へ .
2. 概要 .
3. 案内図 .
4. 外観 . 
5. 内観 . 

1. Castel d’Appiano へ

私は冒頭で「三番目に訪れたのは Appiano」と書きましたが、ティロロ(Tirolo)の後、南に約30km、42分ほど運転して、グリッシアーノ(Grissiano)に行きました。目的は13世紀のフレスコ画でした。教会は閉まっていて見学できませんでした。いつか教会の中を訪問できたら、その時にブログに書きます。

私はグリッシアーノ(Grissiano)から南東に約20km、33分ほど運転して、山の中の駐車場(Wanderparkplatz Burg Hocheppan)に停車しました。15:15頃のことです。

駐車場からは、30分ほど山を登ります。アッピアーノ城(SCHL. HOCHEPPAN または Burg Hocheppan Castel d’Appiano)という標識に従って、登り続けると間違いません。

「SCHL. HOCHEPPAN」
「Burg Hocheppan Castel d’Appiano」

足元は、町歩き用のスニーカーではなく、砂利の坂道でも滑りにくいような靴をお勧めします。

アッピアーノ城(Burg Hocheppan / Castel d’Appiano)に着きました。

アッピアーノ城(Burg Hocheppan / Castel d’Appiano)北側

木製の橋を渡って、城内に入ります。

1180年頃に建築された五角形の塔がそびえ立っています。

五角形の塔

礼拝堂は、五角形の塔より南側にあります。

Cappella 北側遠景

教会の北側には受付(机と椅子)があり、ガイドの紳士がいました。私はドイツ語で「Guten Tag」と挨拶したものの、ドイツ語はこれが精一杯。

私はイタリア語で「残念ながら私はドイツ語が話せません。イタリア語か英語を話されますか?礼拝堂を訪問したいのですが、まだ間に合いますか?」と言いました。

ガイドはイタリア語で「はい、今日の最終回の16時からのガイドツアーをこれから始めるところです。ガイドツアーはドイツ語です。あなたの他に参加者がいるかどうか、鐘を鳴らしてみましょう。」と答えました。

私は礼拝堂に訪問できることが分かってうれしかった!でも、聞いていた通りとはいえ、ガイドツアーはドイツ語だけと聞いて少し残念でした。

その後、ガイドが鐘を鳴らしても、誰も参加者は加わりませんでした。

ガイドは言いました。「では、イタリア語で話しましょう。」

やったあ!

私は尋ねました。「礼拝堂の外は撮影できますか?」

ガイドは答えました。「はい、礼拝堂の中も撮影できます。ガイドツアーの最後に時間を設けます。」

下調べしたとき礼拝堂の中は撮影禁止と聞いていたのです。私は大喜びしました。

やったあ!!

2. 概要

教会の外に案内掲示がありました。また、ガイドから説明を聞きました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

Burgkapelle Hocheppan / Cappella di Castel d’Appiano

城(標高636m)は、5~6世紀に建てられた古代末期から中世初期の建物の上に、1125年から1130年にかけてアッピアーノ伯(Conte di Appiano)であるウルリヒ2世(Ulrich II)によって伯爵家の居城として築かれた。

石造の礼拝堂は1131年に完成し、トレントの司教によって奉献された。およそ200年前からあった礼拝堂は木造であった。

1158年、アッピアーノ伯爵家(Conti di Appiano)がローマ教皇の使節団を襲撃したため、ハインリヒ獅子公が報復として城を破壊した。その後、城は再建され、要塞化された。五角形の塔が増築されたのは1180年頃である。

この再建の後、おそらく1207年から1211年頃に、礼拝堂はロマネスク様式の壁画で彩られた。礼拝堂はもともと城の宮殿とつながっており、伯爵家は宮殿から直接に教会のマトロネウムに出入りすることができた。

14世紀に入るとアッピアーノ伯爵家(Conti di Appiano)が消滅。城は先祖代々の居城ではなくなり、時代ごとに所有者や管理者が変わった。城は1640年頃までは改築されたが、18世紀初頭にはすでに廃墟であった。

この後も、案内掲示やガイドから聞いた説明を引用するときに太字で書きます。

3. 案内図

城に案内図がありました。東が下です。

城にあった案内図

黒い建物が礼拝堂です。

4. 外観

東壁には、主後陣が少し突き出ています。

Cappella 南東側外観

北壁には、壁画が残っています。

跳躍する雄鹿と馬に乗った猟師が見えます。

Cappella 北東側外観

馬に乗った猟師の右には磔刑図、その右には聖クリストポルスが描かれています。

聖クリストポルス

礼拝堂が奉献された1131年頃に描かれた。

5. 内観

北扉口から礼拝堂の中に入ります。

わお。

身廊にて南東を向く

おそらく1207年から1211年頃にかけて描かれたロマネスク様式の壁画は、その特徴の違いから、3人の描き手によるものと考えられている。

東壁の上段には、イエスと使徒たちが描かれています。

使徒たちは東壁に6人、北壁に3人、南壁に3人という配置で、十二使徒が全員描かれています。

身廊にて東を向く

北小後陣には洗礼者ヨハネ、神の子羊と使徒ヨハネが描かれています。

マタイによる福音書3章4節
洗礼者ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。

ワイルドな洗礼者ヨハネ、らくだの毛衣がカラフルでかっこいいです。

北小後陣

主後陣の上部には聖母子と2人の天使が描かれています。

主後陣の上部

主後陣の下部には「賢いおとめと愚かなおとめ」(マタイによる福音書25章)

イエスから祝福される賢いおとめたちは、油で満たされた器を持って整然と並んでいます。まるで修道女のような質素な姿。

主後陣の下部

それに対して、愚かなおとめたちは、空の器を持って雑然と並んでいます。縁飾りがついたローブをまとい、長い三つ編みをたらして、華麗な姿。

愚かなおとめたち、まるでファッション雑誌の一場面をみるようで、魅力的です。

主後陣の下部

南小後陣には聖ペトロ、イエスと聖パウロ。

イエスは聖ペトロに鍵を、聖パウロに巻物を授けています。

南小後陣

南壁、西壁、北壁には「受胎告知」から「復活」までのイエスの物語が展開します。

南壁の上段には「受胎告知」、「ご訪問」、「ご生誕」、「羊飼いたちへの告知」が描かれていて、物語は西壁の上段に続きます。

「受胎告知」と「ご訪問」(ルカによる福音書1章)

糸を紡ぐマリアの描写は、2世紀頃に成立した新約聖書外典『原ヤコブ福音書』に由来します。後世に正典とされなかったために「外典」となりましたが、中世の時代までは広く親しまれていたようです。

南壁の上段

「ご生誕」(ルカによる福音書2章)

頬に手をやるヨセフ、顔飼い葉桶の中に寝ているイエス、横たわるマリア、まではよく見る姿ですが、右下に見慣れない姿の女性が描かれています。

南壁の上段

この位置によく描かれるのはイエスに産湯を使う産婆ですが、こちらの女性は調理をしていて、団子のようなものを食べています。

有名な「クヌーデル(Knödel)を食べる人」です。郷土料理を大きな口でほおばる様子は、見る人が親近感を持ちます。

南壁の上段

南壁の上段の右端には「羊飼いたちへの告知」(ルカによる福音書2章)。

これが描かれた場所には、小さな窓がありました。マトロネウムに適した位置と大きさの窓です。

南壁の上段の右端

西壁の上段には「東方三博士の礼拝」(マタイによる福音書2章)が描かれていて、物語は北壁の上段に続きます。

西壁の上段

身廊の西側には昔、マトロネウムがあった。アッピアーノ伯爵家(Conti di Appiano)は他の信者たちとは異なる専用の扉口(右上の十字架の位置にあった)を使って出入りし、他の信者たちを見下ろす高い場所から聖ミサに参列していた。

このため、西壁には当初から描かれなかった部分がありました。

身廊にて西を向く

北壁の上段には、「東方三博士とヘロデ王」と「東方三博士の夢」と「幼児虐殺」(マタイによる福音書2章)が描かれていて、物語は南壁の中段に続きます。

北壁の上段
北壁の上段

南壁の中段には「エジプトへの逃避」、「神殿奉献」、「イエスの洗礼」、「カナの婚礼」が描かれていて、物語は西壁の中段に続きます。

「エジプトへの逃避」(マタイ2章)、「神殿奉献」(ルカ2章)、「イエスの洗礼」(マタイ3章、マルコ1章、ルカ3章)。

南壁の中段
南壁の中段
南壁の中段

「カナの婚礼」(ヨハネによる福音書2章)。

イエスが水がめの水をぶどう酒に変えます。

南壁の中段
南壁の中段

婚礼のテーブルには、通常の「カナの婚礼」で見かけない人が描かれています。

郷土料理の「カミンウィルツ(Kaminwurz)を食べる人」である。

Kaminwurzは、燻製サラミだそう。手づかみで、むしゃむしゃと、びっくりな奇跡をイエスが起こしていることに目もくれないで食べています。よほど美味しいに違いない。

南壁の中段

西壁の中段には「エルサレム入城」が描かれていて、物語は北壁の中段に続きます。

北壁の中段には、「捕縛」、「茨の戴冠」、「鞭打ち」、「磔刑」、「降架」、「復活」が描かれています。

身廊にて北東を向く

大きな建物ではありませんが、全ての壁に絵画がいっぱい残っていることに驚きます。

そして、「受胎告知」、「ご訪問」や「賢いおとめと愚かなおとめ」のような宮廷的な高貴さと、「クヌーデル(Knödel)を食べる人」や「カミンウィルツ(Kaminwurz)を食べる人」のような庶民的な親しみやすさをあわせ持っていることに、とても魅力を感じます。

アッピアーノ城礼拝堂(Cappella di Castel d’Appiano)。壁画が素晴らしいです。有名な「クヌーデル(Knödel)を食べる人」があります。

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