2023年8月7日(月)、三番目に訪れたのは Ivrea、Cattedrale di Santa Maria Assunta です。
ここは、地下聖堂が良いです。
毎日8:00〜12:00と14:30〜17:30に開いています(2023年8月現在の情報です)。
目次
1. Ivrea へ .
2. 概要 .
3. 平面図
4. 12世紀の地下聖堂 .
5. 10~11世紀の地下聖堂
1. Ivrea へ
私はアオスタ(Aosta)から南東に約74km、57分ほど運転して、丘の上の大聖堂に着きました。15:00頃のことです。
ファサードも、内装も、すっかり新しい装いです。
内陣の下に、ロマネスク様式の地下聖堂があります。
2. 概要
現地には地下聖堂に関する案内掲示はありましたが、教会全体の建築や歴史に関する案内は見当たりませんでした。Città e Cattedrali による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
大聖堂の19世紀のファサード建設中にローマ時代の遺跡が発見されたことは、紀元前1世紀にはローマ時代の神殿があったことを物語っている。
この教会は、初期のキリスト教教会の典型的なバシリカ式プランを持っていた。
11世紀初頭、Warmondo 司教によって、建物の拡大と装飾が決定された。後陣、二つの鐘楼、クワイヤの後ろにある周歩廊、地下聖堂の最も古い部分などである。
12世紀に再建された際、聖堂はその姿を大きく変え、現在の姿に近いレイアウトとなった。
内陣は身廊の西端に移され、扉口は東側に移された。身廊は再建され、翼廊が作られ、身廊との交差部にランタン(正方形、曲面または多角形のドーム屋根)が建築された。
13世紀から15世紀にかけて、装飾は近代化され、地下聖堂の内部、身廊への階段、身廊自体にフレスコ画が描かれた。1516年に古いロマネスク様式のファサードに代わって、ブラマンテ様式のポルティコを持つ新しいファサードが建築された。1854年には身廊を1柱間分延長した現在の新古典主義様式のファサードに建て替えられた。18世紀末には、後期バロック様式に改築された。
この後は、現地にあった案内掲示を引用するときに太字で書きます。
3. 平面図
地下聖堂にあった案内掲示による平面図です。東が下です。
1. 10世紀の地下聖堂(聖ベッソの遺骨納室)
a. 聖ベッソの遺骸を納めるために再利用されたアテキウス・ヴァレリウスの石棺。
b. 18世紀後半の建造物に再利用されたユピテルの祭壇。
c. 聖母子、聖司教、聖修道士を描いたフレスコ画、13世紀。
d-f. 15世紀のフレスコ画。
2. 12世紀前半に拡張された地下聖堂(聖ガウデンティウスの遺骨納室)
g. 聖ガウデンティウス、13世紀
4. 12世紀の地下聖堂
12世紀の地下聖堂(聖ガウデンティウスの遺骨納室)
入ってすぐの部屋は、Novara の初代司教で Ivrea 出身の聖ガウデンティウスに捧げられた地下聖堂で、12世紀の大聖堂再建の際に建てられた。
十字の天井は、外の回廊に見られるような植物や動物のモチーフをあしらった精巧な柱頭を持つローマ煉瓦の柱と、三つの身廊を作る中央の2本の石柱の上に乗っている。
左側の小部屋には、石組みに再利用されたローマ時代のユピテルの祭壇が見える。地下聖堂への入り口は、身廊の中央にある内陣へと続く階段の脇にある二つの小さな扉か、側廊の下部にある二つの扉口からであった。
地下聖堂はまた、後期ロマネスク様式と後期ゴシック様式のフレスコ画で飾られており、その中で最も保存状態の良いものは、聖ガウデンティウスを描いたもので、元々は小さな祭壇も置かれていた龕の中に置かれている。
12世紀の地下聖堂は、私は柱頭彫刻が好きです。
5. 10~11世紀の地下聖堂
10~11世紀の地下聖堂(聖ベッソの遺骨納室)
数段の階段を上ると、イヴレアの守護聖人の一人である聖ベッソに捧げられた最古の地下聖堂があり、1000年前後の数十年間に司教Warmondo Arborioの命により建てられた。
中央にはローマ時代の高官Caio Atecio Valerio(紀元2世紀半ば~3世紀初頭)の石棺があり、聖人の聖遺物を納めるために再利用され、地下聖堂の修復後にここに移された。
13世紀のフレスコ画があります。
採光窓のおかげで、自然光が青白い光を落としています。
リング状に配置された簡素な柱と柱頭が美しいです。
Cattedrale di Santa Maria Assunta。地下聖堂が良いです。
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