2023年8月7日(月)、二番目に訪れたのは Aostaの中の、Chiesa Collegiata dei Santi Pietro e Orso です。
ここは、回廊の柱頭彫刻、屋根裏のフレスコ画、内陣の床モザイクが素晴らしいです。地下聖堂も良いです。
教会は毎日9:00~19:00に開いています。回廊と屋根裏は11:00と15:00(4月から9月は16:00)のツアーで見学できます。見学ツアーは有料(€7)です。(2023年8月現在の情報です)
Aosta では、二つの教会に行きました。以下のように2回に分けて書いています。
<1> Cattedrale di Santa Maria Assunta e San Giovanni Battista
<2> Chiesa Collegiata dei Santi Pietro e Orso
目次
1. Chiesa Collegiata dei Santi Pietro e Orso へ .
2. 概要 . .
3. 平面図
4. 回廊 .
5. 屋根裏のフレスコ画
6. 地下聖堂 .
7. 内陣の床モザイク
1. Chiesa Collegiata dei Santi Pietro e Orso へ
私は Cattedrale di Santa Maria Assunta e San Giovanni Battista から、東に約950メートル、13分ほど歩いて、鐘楼が美しい教会に着きました。10:45頃のことです。
ファサードの西にそびえる鐘楼は12世紀のもの。
ファサードには、10〜11世紀頃のものと考えられる、最初に建築された鐘楼の跡がうっすらと残っています。詳しくは平面図で。
私は11;00の見学ツアーを予約してありました。10:55に回廊のチケット売り場に来るように指示がありました。
下の写真の左下が回廊のチケット売り場です。
私は回廊のチケット売り場でツアー料金(€5)を支払いました。
11時過ぎにツアーが始まりましたが、なんと、参加者6人のうち3人がフランス語だけを話す人たちでした。ツアーガイドは、同じ内容を2回(最初にフランス語で、次にイタリア語で)案内してくれることになりました。ガイドさん、大忙し。
さらに、ツアーが始まってからも次々と参加者が加わって、最終的に10人になりました。狭い場所を大人数で移動し続けないといけないし、2カ国後で説明しないといけないし、、、ガイドさん、大変そうでした。
2. 概要
教会の内外に案内板や案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
5世紀に遡る教会は、シンプルな長方形と後陣で構成され、後にポルティコが加えられた。9世紀から10世紀にかけて完全に再建され、その後、994年から1025年にかけてこの教区を統治した司教の下で再建された。現在の三廊式の建物は、部分的に改修されたものの、その構造の多くを残している。
中世初期の鐘楼の遺構を取り込んだファサードは、テラコッタの破風が特徴的な後期ゴシック様式である。広場の堂々とした鐘楼は12世紀のものである。
内部は、15世紀の木造クワイヤ、ロマネスク様式の地下聖堂、屋根裏にあるオットー朝のフレスコ画など、さまざまな様式が見られる。
オットー朝時代は10世紀半ばから11世紀初め頃です。
この後も、案内板や案内掲示を引用するときに太字で書きます。
3. 平面図
ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』による平面図です。東が上です。
<現在>
<オリジナル>
実線が現存部分、斜線が最初に建築された鐘楼。現在もファサードと身廊の第1柱間に1000年頃のものと考えられる鐘楼の跡があります。(ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』より). ↩️
4. 回廊
見学ツアーは、まず、回廊をみます。
イタリアには数少ない、物語のロマネスク彫刻が残る回廊です。
ガイドによると、1133年にアウグスティヌス修道会の共同体が設立されました。これを受けて、12世紀前半に回廊が造られました。当初は白または灰色の大理石で彫刻された柱頭は当初明るい色で塗られていましたが、後に塗られた保護膜が酸化して黒くなりました。東側は18世紀に再建されました。アダムとエバなど、いくつかの柱頭はトリノの Palazzo Madama の博物館にあります。
柱頭は40個あります。彫刻が素晴らしいです。
南側
南側には、預言者の姿を描いた五つの柱頭、聖ウルススの生涯を描いた一つの柱頭、回廊の縁起に関する二つの柱頭などがあります。
預言者の姿を描いた五つの柱頭には、各面に1人ずつ、合計20人が描かれています。
こちらは預言者ナタン。髭が長くて手が大きくて、偉大な姿です。
聖ウルススの生涯を描いた一つの柱頭は、円状にぐるりと描かれています。
ガイドによると、信者用の柱頭には文字がなく、頭頂部の剃髪(トンスラ)や文字がある柱頭はアウグスティヌス会律修司祭(canonici)のためのものだそう。
回廊の縁起に関する柱頭は二つあります。一つ目の柱頭には、聖ペトロ、聖ウルスス、聖アウグスティヌス、修道院長Arnolfo、司教Herbertoが描かれています。二つ目の柱頭には、その日付と出来事が記されています。
この教会は聖ペトロと聖ウルススに捧げられています。そして、回廊は1132年に聖アウグスティヌスの会則が採用されたために造られたと考えられています。
西側
西側にはリベカ、エサウ、ヤコブの物語などが描かれています。
北側
北側には、ネブカドネツァル王と炉の中の3人の少年、ダビデ王とソロモン王と受胎告知、ご生誕、東方三博士の礼拝、エジプトへの逃避、キツネとコウノトリの寓話など、聖俗の場面が描かれています。
ネブカドネツァル王と炉の中の3人の少年(『ダニエル書』3章)
ダビデ王とソロモン王。旧約聖書に書かれている、イスラエル最盛期(紀元前10世紀頃)の王たちです。
楽器を奏でているのがダビデ王だと思います。
この柱頭は、ソロモン王とダビデ王とともに、受胎告知(『ルカによる福音書』1章)が描かれています。
預言者ナタンは、旧約聖書の中で、主の言葉をこのようにダビデに伝えています:
『サムエル記下』7章12節
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
イエスがダビデの子孫であると言いたいのかもしれません。
聖母マリアは、左手を自分の膝に置き、右手で椅子をつかんでいます。ガイドによると、右手で椅子をつかむ動作は畏れを表しているのだそう。
ご生誕(『マタイによる福音書』1章、『ルカによる福音書』2章)
東方三博士の礼拝(『マタイによる福音書』2章)
エジプトへの逃避(『マタイによる福音書』2章)
キツネとコウノトリの寓話
図像は、キリストの受肉による人類の救済というテーマを見事に描いています。
たいへん技量のある石工の仕事だと思います。
この回廊の柱頭彫刻は、ロマネスク美術の傑作です。
5. 屋根裏のフレスコ画
見学ツアーは、次に、屋根裏のフレスコ画をみます。15世紀の天井と屋根の間にあります。
1001年〜1026年頃に描かれたようです。
「ガブリエッリ夫人(Madame Gabrielli)は、Galliano の連作や Reichenau の芸術的感性と関連づけ、この連作の年代を11世紀の第1四半世紀に位置づけている。」(ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』より)
聖ペトロと弟子たち。聖ペトロは、頼りがいのあるお父さんみたいな様子です。
聖ヨハネ。
アイゲアテス。アカイア州パトラスで聖アンデレを磔刑に処したローマ帝国の総督です。(新約聖書外典『アンデレ行伝』)
聖アンドレアと弟子たち。聖アンドレアの左に描かれている二つの赤いものは風を表していると思います。
聖ヤコブ。殉教に向かうところだと思います。
「カナの婚礼」(『ヨハネによる福音書』2章)だと思います。イエスが描かれていないなあ、と思ったら、ようやく、ここで見つけました。
2人の天使。
人物像の輪郭線がはっきりと引かれていることに気づきます。背景は、明るい色と暗い色の2色の帯です。人物像の上には多色の帯があって、ところどころに鳥が描かれています。
人物たちの大きな丸い目と、横一文字の口がかわいいです。
見学ツアーはこれで終了です。
6. 地下聖堂
ロマネスク様式の地下聖堂に行きます。
地下聖堂は11世紀のものだそう。(Città e Cattedrali より)
12本の柱は不揃いで、再利用されたものだと思います。
柱頭の存在感がありません。アーチと直接つながっている柱もあります。オレッジオ(Oleggio) の地下聖堂を思い出します。
7. 内陣の床モザイク
最後に、内陣の床モザイクをみます。
床モザイク、12世紀前半。1999年夏に行われたクワイヤの考古学的発掘調査によって、資料には記載されていない未知の床モザイクが発見された。
正方形で3.02 x 3.02メートルの大きさがあり、黒と白のテッセラでできており、薄茶色のテッセラがいくつか挿入されている。
一番外側の枠には、二つの詩から成る文「INTERIUS DOMINI DOMUS HEC ORNATA DECENTER • QUERIT EOS QUI SEMPER EI PSALLANT REVERENTER」が刻まれている。
この二つの詩(ヘクサメトロン)に使用されている文字、そして回廊にある25番の柱頭の詩文「MARMORIBUS VARIS HEC EST DISTINCTA DECENTER • FABRICA NEC MINUS EST DIS POSITA CONVENIENTER」との比較により、この床モザイクは回廊と同時期に作られたと考えられている。
四隅には獅子、蛇を抱く魚人、竜、そして最後に、二つの胴体が一つの頭部に結合した鷲が描かれている。
小さな三角形の二つの輪の間には「ROTAS OPERA TENET AR EPO SATOR」または「SATOR ARE PO TENET OPERA ROTAS」が刻まれている。
同様の謎の回文は カペストラーノ(Capestrano) にもありました。
どういう意味があるのか、さっぱり分かりません。
中央には獅子を裂くサムソン(旧約聖書の『士師記』14章)、かっこいいです。
サムソンの足が薄茶色のテッセラで色付けられていて、動きがあって良いです。
Chiesa Collegiata dei Santi Pietro e Orso。回廊の柱頭彫刻、屋根裏のフレスコ画、内陣の床モザイクが素晴らしいです。地下聖堂も良いです。
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