エム(Aime)

2023年8月5日(土)、三番目に訪れたのは Aime、Basilique Saint Martin です。

ここは、後陣の外観と地下聖堂が素晴らしいです。

2023年は、7月3日から9月2日の月曜から土曜の10:00~13:00と14:30~18:00に開きました。日曜は休みでした。有料(€4)です。

目次

1. Aime へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 東側外観 .
5. 内観:壁画 
6. 内観:地下聖堂 .

1. Aime へ

私はグルノーブル(Grenoble)から、北東に約120km、80分ほど運転して、緑豊かな町に着きました。15:30頃のことです。

県境を越えました。グルノーブル(Grenoble)はIsère 38でしたが、Savoie 73に戻って来ました。

不思議な外観です。南側壁に大きな盲アーチがあります。

南西側外観

大きな盲アーチは、南側壁だけでなく北側壁にもあります。

北西側外観

盲アーチの上には採光用の高窓があります。典型的なロマネスク様式の三身廊だったものが、二つの側廊だけ無くなったようです。

二つの側廊が無くなった理由はまだわかっていません。

2. 概要

受付で英語版の案内シートを貸してもらえる他、教会内に掲示による案内がたくさんありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

1世紀、古代ローマの行政、司法、商業用の公共建築物であるバシリカとして建築される。

5世紀、渓谷の最初の司教 Saint Jacques d’Assyrie が427年に Moûtiers に司教座を置き、古代ローマの建物跡に Aime の最初の教会を建てさせた。

1014年頃、モンペリエ領主ギョーム1世が、エム修道院(prieuré d’Aime)を創設。有名なベネディクト会修道院であるサクラ・ディ・サン・ミケーレ(Sacra di San Michele)の庇護を受けていた。教会は、1014年から1019年の間に建設されたと考えられている。現在は中央の身廊だけが残っているが、11世紀にはその両脇に側廊があった。

二つの側廊がなぜ消えたのかはまだわかっていない。わかっているのは、15世紀に、身廊と側廊の間のアーケードが閉じられたということだけである。

11世紀には、中央の小さな鐘楼が一つだけ時を告げる役割を果たしていたが、12世紀には二つの鐘楼が加えられた。

18世紀末、フランス占領下の荒廃と革命により、鐘楼を失った。修道士と修道院は放棄され、国有財産として7,064リーヴルで売却された。新しい所有者は身廊を納屋に、地下室をチーズセラーに改造した。

1865年、Académie de la Val d’Isère(Moûtiersの学術協会)が、このモニュメントを廃墟化から救うために購入し、建物内部の考古学的発掘を行った。1884年、Académie de la Val d’Isèreがフランス国家にこのモニュメントを譲渡した。1925年、建物の外壁と屋根の修復が開始され、切妻屋根の新しい鐘楼が設置された。

この後も、案内シートや案内掲示を引用するときに太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示によるプランです。東が右です。

<過去>

中世初期に古い構造の上に教会が再建された。この建物は、現在のロマネスク様式の身廊のアーチの土台となった。

ガロ・ローマ時代
中世初期
11世紀

<現在>

青色は地下聖堂です。

4. 東側外観

東側を見ます。

鐘楼は1925年に設置された新しいものです。

11世紀には、中央の小さな鐘楼が一つだけ時を告げる役割を果たしていたが、12世紀には二つの鐘楼が加えられた。18世紀末、フランス占領下の荒廃と革命により、鐘楼を失った。1925年、建物の外壁と屋根の修復が開始され、切妻屋根の新しい鐘楼が設置された。

南東側外観

後陣がとても美しいです。

後陣は三つあります。

三後陣の全てについて、地面に近い部分に採光窓があります。地下聖堂も三後陣です。

主後陣の軒下に、窪みのあるアーチがあります。

北東側外観

窪みには、彩色の跡が残っています。

後陣

かつては彩られていたのでしょう。

5. 内観:壁画

教会の中に入ります。

現在は一身廊ですが、11世紀に建築されたときは三身廊でした。

二つの側廊がなぜ消えたのかはまだわかっていない。わかっているのは、15世紀に、身廊と側廊の間のアーケードが閉じられたということだけである。

身廊にて東を向く

壁画は、おそらく13世紀からのものであろう。絵画は1868年に再発見されたが、16世紀の漆喰に隠されていた。すでに非常に不完全な状態であったうえ、さらに数年間、屋根からの雨漏りによって悪化した。

アダムとエバだと思います。(旧約聖書の『創世記』3章)

壁画
壁画

他の壁画は、何が描いてあるのか私にはよく分かりませんでした。

6. 内観:地下聖堂

地下に降りると、ガロ・ローマ時代の構造が残る部分を使って、先史時代からガロ・ローマ時代までの歴史について展示してあります。個人的にはとても興味深くて楽しかったのですが、詳細は割愛します。

ガロ・ローマ時代までの歴史に関する展示

地下聖堂に行きます。

内陣の下に半地下の地下聖堂があります。

地下聖堂にて北東を向く

ロマネスク様式で、上部教会の後陣と同様の半円形です。

4本の大きな柱によって、三つの身廊に分けられています。

地下聖堂にて東を向く

とても美しいです。

たぶん、昔はフレスコ画で埋め尽くされていたことでしょう。

Basilique Saint Martin。後陣の外観と地下聖堂が素晴らしいです。

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