2023年8月3日(木)、三番目に訪れたのは Brusasco、Chiesa di San Pietro です。
ここは、後陣が美しいです。
前日に Montiglio のピザ屋でもらった “Rete Romanica di Collina” の地図を見て訪れることを決めた三つの教会のうちの一つです。
教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。
目次
1. Brusasco へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 東側外観(後陣) .
1. Brusasco へ
私はアルブニャーノ(Albugnano)から北東に約22km、24分ほど運転して、墓地に建つ教会に着きました。12:45頃のことです。
さっき行ったアルブニャーノ(Albugnano)も墓地にある教会で、ここも墓地にある教会です。
教会巡りは、墓地巡りでもありますな。
2. 概要
現地には案内は見当たりませんでした。FAI(Fondo Ambiente Italiano)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
Brusasco で最も古い教会であり、ピエモンテ・ロマネスク建築の最も重要な例のひとつである。1000年頃、5~6世紀に建てられた建築物の上に建てられ、いくつかの部分が組み込まれたが、その一部は現在でも見ることができる。1592年まで教区教会として使用されていたが、1660年代に廃墟となった後、墓地の礼拝堂として使用され、聖ミカエルに捧げられた新しい祭壇が建てられた。
19世紀に再び廃墟となったが、1889年に国の重要文化財となり、その後10年間に大規模な修復工事が行われた。1940年代までは葬儀に使われていたが、さらに放置された後、自治体の努力と様々な団体からの資金援助により、屋根と備品が改修され、フレスコ画が修復された。
Associazione InCollina によると、フレスコ画は15世紀半ばの作品のようです。
この後も、FAIを引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
Vezzolano にあった平面図です。東が右です。
後陣と南壁の一部に古い構造が残っています。
当初は二つの身廊で構成されていたが、ポーの溢水と長期間の廃墟化によって北側の身廊が荒廃し、現在は一つの身廊となっている。
4. 内観
西扉口は施錠されていましたが、窓から中を覗くことができました。
昔に北側廊に通じていた身廊北側は、アーチの下が埋められて、壁になっています。
5. 東側外観(後陣)
北壁は、ちょっぴり雑に修復されています。
南壁には、三つの柱間のうち、後陣に近い二つにオリジナルが残っています。
縞々模様の壁が後陣から身廊へと続いています。
後陣は、白い小柱が整然と並んでいて、ロッジア(loggia、吹き放しになった柱廊)が美しいです。
教会見学を終えて、ふと墓地を眺めるうち、興味深いものを見つけました。
イタリアでよくある、小さい家みたいな家族用の墓の中に、教会の後陣をかたどった墓があるんです。白い小柱が整然と並ぶロッジアがすごく目立っていました。
きっと、この教会を美しく感じた人が、一家のためにそういう墓を建てたのでしょう。
Chiesa di San Pietro。後陣が美しいです。
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