2023年7月29日(土)、最初に訪れたのは Civate。サン・ピエトロ・アル・モンテ修道院(Abbazia di San Pietro al Monte)です。
ここは、フレスコ画が素晴らしいです。チボリウム、浮き彫り、地下聖堂も必見です。
事前予約が必要です。Associazione Amici di San Pietro の公認ガイドがガイドツアーを行います。3月から10月は土曜と日曜の10:00~12:30と14:00~16:00に見学可能なことが多いです。でも、不定期的にハンディキャップのある人をヘリコプターで受け入れる日があり、その日は予約不可です。
教会内部では、教区司祭の許可なく写真やビデオを撮影することは禁止されています。(私は事前に書面で許可を得ました。)
目次
1. Civate へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
3-1. 地上部分の平面図 .
3-2. 地下部分の平面図 .
4. 東側外観(東扉口) .
5. 東側内観 .
5-1. 東扉口のフレスコ画 .
5-2. 聖人の礼拝堂と天使の礼拝堂のフレスコ画 .
5-3. 大きなフレスコ画 .
6. 西側内観(チボリウム) .
7. 北側内観(階段の浮き彫り) .
8. 地下聖堂の浮き彫り .
9. 中世初期の地下聖堂 .
10. Oratorio di San Benedetto .
脚注(1) 聖母の被昇天 .
1. Civate へ
7月29日は、私が尊敬する大好きな Corsa さんと一緒にロマネスク巡りです。私は夢のような1日を過ごしました。
Corsa さんと私は私の Airbnb から北東に約26km、25分ほど運転して、Civate の町に行き、山の麓の路上(Via Longoni Abate)の無料駐車場に車を停めました。10:00頃のことです。
ポッツォ通り(Via del Pozzo)を西に向かうと登山道を示す標識があります。
そこから Abbazia di San Pietro al Monte へは、北西に約2.5km、約1時間ほど、高低差約400メートルの山道を登ります。歩きやすい靴か登山靴が必須です。
私は山歩きは慣れないのですが、なんとか、到着できました。
東側の階段からではなく、南側の扉口から教会に入ります。
2. 概要
教会の中(身廊)にリーフレットがありました。Associazione Amici di San Pietro の公認ガイドから聞き取った内容を含め、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ロンゴバルド最後の王 Desiderio(在位756年から774年)の治世に、聖ペトロと聖パウロに捧げられた最初の小さな修道院が誕生した。
それ以来、修道院は9世紀、そして10世紀から11世紀にかけてさらなる改築を経た。10世紀までは教会と簡素な修道院だけであったが、11世紀になると東側に現在の扉口が開かれ、階段と半円形の前廊(pronao)が建設され、Oratorio di San Benedetto が建てられた。再建は、グレゴリウス7世が教皇だったときのことである。
グレゴリウス7世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門して謝罪させた(いわゆる「カノッサの屈辱」)教皇です。
12世紀になると、ミラノ大司教の一派が修道院の居住部分をすべて破壊した。修道院長がその忠実な臣下であった Barbarossa が Legnano の戦い(1176年)で敗れた後と思われる。
Barbarossa は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(1122年〜1190年)の異名です。
破壊を免れたのは神の家である教会だけであった。その後、修道生活は Civate の町にある San Calocero 修道院で続けられた。
この後も、リーフレットやガイドから聞き取った内容を引用するときは太字で書きます。
3. 平面図
3-1. 地上部分の平面図
現地には地上階部分の平面図がありませんでした。ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『LOMBARDIA ROMANICA VOL II』に載っていた平面図です。東が下です。
仮想巡礼路(Piva 2001と2006より)。1a/b: アクセスのバリエーション、3と9: アトリウムの上階と下階、4: 祭壇/聖遺物箱、5/6: 地下聖堂への下降と上昇、8: 下降階段、10: 洗礼者聖ヨハネ、11: 修道士のアクセス、12: 塔、13: 修道士のクワイヤ、14: 修道院のドムス。
3-2. 地下部分の平面図. ↩️
教会の中(中世初期の地下聖堂)にあった、地下部分の平面図です。東が右です。
01: 中世初期の教会外壁構造
02: 中世初期の教会の外側の隆起を区切ったと思われる構造物
03: 8世紀後半から11世紀中頃までの遺骨を納めた石造りの納骨堂
04: ロマネスク様式の地下聖堂(南側)に通じる南階段の階段跡(19世紀末に再建され、1993年の発掘調査で解体された)
05: 中世初期の地下聖堂の丸天井屋根を示唆する柱の基部
06: 中世初期の地下室への階段の端部
07: 正方形の土台、おそらく祭壇の台座
08: ロマネスク聖堂の地下聖堂への北側階段の擁壁
09: 中世初期の地下聖堂の床
10: 7世紀後半から9世紀後半にかけての遺体
11: ロマネスク様式のバシリカの周壁
4. 東側外観(東扉口)
私は南扉口から入りましたが、平面図の仮想巡礼路に従ってご紹介します。
階段を上がると、アトリウムの上階に着きます。
アトリウムの上階には東扉口があります。扉口の上では、イエスが鍵を聖ペトロに、みことばの本を聖パウロに託しています。
扉口のアーチの上には、ラテン語で「ペトロとパウロに捧げられた正義の門から入るよう、罪の重荷から解放された私たちに命じよ」と書いてあるそうです。この教会は、当初、ペトロとパウロの両方に捧げられていました。
5. 東側内観
5-1. 東扉口のフレスコ画
東扉口から教会の中に入って、振り返ります。
内側のルネッタに、アブラハムがいて、たくさんの人を包んでいます。
通路の両側には、教皇をつとめた2人の聖人がいます。聖マルケルスと大聖グレゴリウスは、巡礼者を懺悔者として教会に迎え入れています。
天井には、天上のエルサレムがあります。
中央のキリストの足元には、犠牲の象徴である小羊がいます。小羊の足元からは、四つに分かれた水が流れます。
水の流れの先にある次のヴォールトでは、水は楽園の四つの川になります。
川の水は、四つの川を象徴する擬人像によって注がれて、化粧漆喰が施された柱に沿って、巡礼者に流れ落ちます。
柱と柱の間では、悪を象徴するグリフォンとキマイラが、東扉口の方を向いて駆けています。教会から逃げ去っているのかもしれません。
5-2. 聖人の礼拝堂と天使の礼拝堂のフレスコ画
東側には、南北に二つの礼拝堂があります。
北側には聖人の礼拝堂があります。
ヴォールトには四福音書記者の象徴が描かれ、その隣の四分球には2人の天使が支えるマンドルラの中にキリストが描かれています。キリストは右手で祝福の仕草をし、左手に本を持っています。
キリストの下の帯に書かれている文字を読むと、窓には、左から順に父祖(Patriarchi)、預言者(Profeti)、使徒(Apostoli)、殉教者(Martiri)、証聖者(Confessori)、隠修士(Anacoreti)が描かれていると思います。
南側には天使の礼拝堂があります。
四分球にはマンドルラの中にキリストが描かれています。キリストは右手で祝福の仕草をし、左手に本を持っています。
キリストの両側には2人の天使がいます。6枚の翼を持つ特徴は熾天使(Seraphim)です(旧約聖書『イザヤ書』6章2節)。でも、足元に4個の車輪が描かれているので、智天使(Cherubim)の特徴も持っています(『エゼキエル書』10章9節)。
キリストの下の帯に書かれている文字を読むと、窓には、左から順に天使(Angeli)、大天使(Archangeli)、座天使(Throni)、主天使(Dominationes)、力天使(Virtutes)、権天使(Principatus)、能天使(Potestates)が描かれていると思います。
偽ディオニュシオスの『天上位階論』(6世紀頃)によると、天使には九つの位階があって、それらが三つの階級に分かれます。
上級:熾天使(してんし、Seraphim)
上級:智天使(ちてんし、Cherubim)
上級:座天使(ざてんし、Thronoi)
中級:主天使(しゅてんし、Kyriotites/Dominatio)
中級:力天使(りきてんし、Dynameis/Virtues)
中級:能天使(のうてんし、Exousiai/Potestates)
下級:権天使(けんてんし、Archai/Principatus)
下級:大天使(だいてんし、Archangeroi/Archangelus)
下級:天使(てんし、Angeloi/Angelus)
フレスコ画に描かれている並び順は、位階の上下と関係がないようです。
Angeli、Archangeli、Throni、Dominationes の順に並んでいるので、こんなグレゴリオ聖歌を思い出します。
Angeli, Archangeli, Throni et Dominationes, Principatus et Potestates, Virtutes: Cherubim atque Seraphim: Patriarchae et Prophetae: sancti legis Doctores, Apostoli omnes: Christi Martyres, sancti Confessores, Virgines Domini, Anachoritae, Sanctique omnes, intercedite pro nobis. (天使、大天使、座天使と主天使、権天使と能天使、力天使、智天使そして熾天使、父祖と預言者、聖なる法学博士、すべての使徒、キリストの殉教者、聖なる証聖者、主のおとめら、隠遁者、そしてすべての聖人よ、私たちのためにお祈りください。)
もしかして、聖人の礼拝堂と天使の礼拝堂は、聖人や天使たちに神へのとりなしを頼んでいるのかもしれません。
ラッパを持った7人の天使(ヴォールトに4人、ヴォールトの下の窓に3人)がいます。『ヨハネの黙示録』8章を思い出します。
『ヨハネの黙示録』8章
1: 小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。
2: そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。
『ヨハネの黙示録』では、天使がラッパを吹くたびに禍々しい災いがおきます。
5-3. 大きなフレスコ画
天使の礼拝堂の七人の天使と七つのラッパの物語は、第七の天使がラッパを吹いた(『ヨハネの黙示録』11章15節)後の場面に続きます。
聖人の礼拝堂、東扉口と天使の礼拝堂がつくる三つの小さいアーチの上に、大きなフレスコ画が描かれています。
『ヨハネの黙示録』12章 1: また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 2: 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。
『ヨハネの黙示録』12章 3: また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。 4: 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
『ヨハネの黙示録』12章 5: 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。 6: 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。 7: さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、 8: 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
ミカエルの圧倒的勝利だったようです。豪華な衣装に身を包んだミカエル、かっこいい。
6. 西側内観(チボリウム)
西側にチボリウムがあります。制作年代については多くの説がありますが、10世紀から11世紀、おそらくアルノルフォ3世(Arnolfo III)大司教がチヴァーテに滞在していた頃に作られたとする説もあります。
Milano の S. Ambrogio に豪華なものがありますが、こんな山の中で作られたというのに、こちらのチボリウムもとても豪華です。
チボリウムの柱頭と柱は、17世紀以降に再建されました。
東面には「磔刑」。十字架のイエスは、聖母と聖ヨハネに挟まれています。
北面には「復活」。イエスは描かれていませんが、2人の番兵が震え上がって死人のようになる中、天使が2人の女性たちにイエスの復活を告げています。
『マタイによる福音書』28章
1: さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
2: すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
3: その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
4: 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5: 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
6: あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
西面には、東扉口と同様に「イエスと聖ペトロと聖パウロ」。
南面には、聖人の礼拝堂や天使の礼拝堂の後陣と同様に、2人の天使が支えるマンドルラの中のキリスト。キリストは右手で祝福の仕草をし、左手に本を持っています。
その内側、柱頭の上では、4人の天使が右手でドームの縁を持っています。彼らの左手には天界の霊性の象徴である翼の形をした羽が生えています。これは、大地の四隅に立って風を抑えている4人の天使でしょう(『ヨハネの黙示録』7章1節)。
ドームの中央には子羊がいて、その周囲を18人の祝福された人々が取り囲んでいます。そのうちの8人は衣だけをまとい、10人は衣の上にマントを羽織っています。これについては“Iesus”を暗示するという説もありますし、刻印を押された人々の十四万四千人(『ヨハネの黙示録』7章4節)を暗示するかもしれませんし、衣を小羊の血で洗って白くした大きな苦難を通って来た者(『ヨハネの黙示録』7章14節)を暗示するかもしれません。
7. 北側内観(階段の浮き彫り)
地下聖堂におりる階段に、美しい浮き彫りがあります。
グリフォンとライオン
素晴らしい作品だと思います。
8. 地下聖堂の浮き彫り
地下聖堂に行きます。教会の東側後陣の下にあります。今は階段は北に一つだけですが、昔は南北に二つの階段があったようです。
地下聖堂は、十字アーチ型のヴォールトを持つ三身廊です。
祭壇の北側には「神殿奉献」(『ルカによる福音書』2章)が描かれています。預言者シメオンが、手に布を載せて幼子を迎えています。その後ろにいるのは預言者アンナだと思います。
預言者シメオンは、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていました。イエスに会ったシメオンは、ようやく安らかに去る(死ぬ)ことができました。
祭壇の奥には、「磔刑」(マタイ27章、マルコ15章、ルカ23章、ヨハネ19章)。
十字架のイエスは、手を頬にあてて憂いのジェスチャーをする聖母と聖ヨハネに挟まれています。また、兵士のうちの1人は、左手にバケツを持っています。たぶん、イエスを侮辱して、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとしているのだと思います。
漆喰の花飾りがほぼ無傷のまま残る2本の角柱の間に広がっており、そこにはカロリング・オットー朝の美術の影響が認められる。
「磔刑」の上のルネッタには、「聖母被昇天」が描かれています。
聖母の被昇天は、頻繁に扱われる題材ですが、聖書に書かれていない話です。脚注で補足します。
聖母は中央にある寝台に横たわっています。周囲には使徒たちが描かれ、イエスは右手で祝福し、左手に本を持っています。左上に天上の都があります。2人の天使が布を介して小さな頭を持っています。聖母の魂を天に運んでいるのだと思います。
基本的にロマネスク様式で描かれる「聖母被昇天」は、最初に魂が、次に肉体が天国に行く、という順番のように思います。そして、魂は子供のように小さく描かれます。
9. 中世初期の地下聖堂
どこに何があるのか、「3-2. 地下部分の平面図」に詳細があります。
何年にもわたる調査、研究を経て公開された中世初期の地下聖堂には、絵の断片や、7世紀から8世紀の人々の遺骨など、修道院が中世初期から活動していたことを示す証拠が残されていました。
カロリング朝時代の7世紀から9世紀にかけて、この場所には以前の教会があり、11世紀に建てられた現在のバシリカを建てるために取り壊されたか、破局的な出来事によって崩壊したのではないかという仮説があります。
10. Oratorio di San Benedetto
いったん外に出て、別の建物に行きます。Oratorio di San Benedettoです。
私たちは南扉口から入りました。
中に入ると、奇妙な柱が見えます。
おそらく、ヴォールトやドームを支えるはずだった四方の柱が、途切れています。そして天井はトラス構造の切妻屋根。
祭壇には絵画があります。
祭壇の正面には復活したキリストが聖母と洗礼者ヨハネに挟まれている。祭壇の右側には聖ベネディクト、左側には聖アンデレが描かれているが、これは葬儀用の礼拝堂としての役割を忘れないためである。
これで、見学終了です。
チヴァーテ(Civate)のサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院(Abbazia di San Pietro al Monte)。ここは、フレスコ画が素晴らしいです。チボリウム、浮き彫り、地下聖堂も必見です。
このあと、私は気持ちのいい木陰の草地の上で、美味しい美味しい梅干しおにぎりをいただきました。
脚注(1) 聖母の被昇天. ↩️
聖母マリアは5世紀にエフェソス公会議で「神の母」と定義されました。それ以降、聖母マリアに神への執り成しを求める祈りが捧げられるようになり、聖母マリアは人間に救いの道を与えるもので、教会を象徴する存在と考えられるようになりました。重要性がどんどん高くなったんです。
こうなると、聖母マリア関連の装飾をしたくなるのが人情ってもんです。
でも、聖母マリアがどんな風に生きて、亡くなったのか、聖書には詳しいことが書かれてない。
例えば、晩年について。確か聖書では、イエスの昇天後エルサレムで使徒たち、婦人たちやイエスの兄弟たちと「心を合わせて熱心に祈っていた」(『使徒言行録』1章12-14 )という記述が最後です。その後の生活、死や被昇天に関しては書かれていません。
じゃあ、ってことで外典などに聖母マリアの生涯に関する伝承を求めて、こうだったらしいよ、という話を教会がまとめたんです。
つまり、聖母マリアは14才でみごもって、15才で出産。それから33年間はイエスと一緒に過ごし、イエス昇天の後12年間生きて、60才で眠ると、三日後に復活して天国に被昇天した、という話です。
イエスも聖母マリアも天に昇りますが、イエスの場合は「昇天」で、聖母マリアの場合は受け身の「被昇天」です。これは、神やイエスの導きと天使たちの力で聖母マリアの魂と肉体が天に上げられたからです。いくら「神の母」でも、自力では昇れないんですね。
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