2023年7月27日(木)の最後、三番目に訪れるのは、Chiesa di San Carpoforo です。
ここは、鐘楼が良いです。私は見ていませんが、11世紀にさかのぼる地下聖堂もあります。
南扉口に管理人(custode)の携帯電話番号が張り出してあります(2023年7月現在の情報です)。でも、私は教会の中を訪問しませんでした。
Como では、三つの教会に行きました。以下のように3回に分けて書いています。
<1> Basilica di San Fedele
<2> Basilica di Sant’Abbondio
<3> Chiesa di San Carpoforo
目次
1. Chiesa di San Carpoforo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 鐘楼 .
1. Chiesa di San Carpoforo へ
私はBasilica di San Fedeleから、南東に約1.6km、21分ほど歩いて、丘の上の教会に着きました。13:00頃のことです。
私は見学を予約していませんでした。
2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
この教会は、4世紀にFelice司教によって創建された、この街で最初の大聖堂であるという伝承がある。聖ペトロとパウロ、そして後に聖エウフェミアに聖堂の機能が移った後、放置されていたが、8世紀にリウトプランド(Liutprando)の命により修復された。この教会は1040年に奉献されたと文書に記されている。
建物の外観は、建物が傾いているため解釈が難しく、ファサードは部分的に埋もれており(地滑りのため)、扉口(元の教会では側面にあったはず)の痕跡もない。現在は閉鎖されているが、滑らかな隅切りと斜めの平面が特徴的な三つのモノフォラ(開口部が一つの窓)が見られるのみである。
教会は三つの身廊を持ち、幅の異なる五つの柱間に分かれている。北側の身廊は壁の厚みに彫り込まれた後陣で終わり、鐘楼は反対側の身廊の後陣にある。
身廊は、柱頭のない長方形の柱で区切られ、シンプルで素朴なラインのアーチを支えている。 天井は、内陣を除き、木が露出している。
第三の柱間は他の柱間より長く、側面のアーチはより高く、教会を横切る軸を決めており、交差部に似ている。このような先進的な交差部が存在することから、オットー式建築の典型的な形式に従って、内陣の高さにもう一つの交差部が存在した可能性が示唆されている。
地下聖堂はおそらく11世紀末のもので、小礼拝堂(oratorio)のような形をしている。
地下聖堂は、インターネットで写真を見ると、円柱が身廊と側廊とを分ける三廊式のようです。
3. 平面図
現地には平面図は見当たりませんでした。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Lombardie romane』による平面図です。東が上です。
では、見学しましょう。
4. 鐘楼
鐘楼をみます。
鐘楼の立ち姿が整っています。
Chiesa di San Carpoforo。鐘楼が良いです。私は見ていませんが、11世紀にさかのぼる地下聖堂もあります。
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