2023年5月3日(水)の最後、四番目の訪問地は Cervatos。Colegiata de San Pedro です。
ここは、外観では南側と東側の持ち送り、南扉口と後陣、内観では内陣と後陣が素晴らしいです。
2023年現在、訪問は有料(€2)です。私は事前に役場(Ayuntamiento)にemailしました。役場が鍵守りの携帯番号を教えてくれたので、WhatsAppして予約しました。夏には、月曜を除いて、午前と午後に開くようです。
私はこの教会に2回行きました。5月2日と5月3日です。最初に行った5月2日16時頃は外観だけ見学しました。教会の中を見学できた5月3日18時頃の訪問として書きますが、外観の写真の多くは5月2日16時頃に撮影したものです。
Colegiata de San Pedroについては、以下のように3回に分けて書きます。
<1> 概要、平面図、外観(持ち送り以外)
<2> 外観(持ち送り)
<3> 内観
目次
Cervatos へ .
概要 .
平面図 . .
東側外観(後陣の軒下の柱頭)
東側外観(窓) .
南側外観(南扉口) .
Cervatos へ
私はサン・マルティン・デ・エリネス(San Martín de Elines)から北西に約44km、45分ほど運転して、見どころの多い教会に着きました。17:45頃のことです。
教会は村の西端にあります。
概要
現地にリーフレットがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道院の起源
11世紀初頭、カンタブリアは経済的な拡大期を迎え、それは主に修道院領の強化という形をとった。8世紀、レコンキスタの初期に誕生した小さな修道院は、San Pedro de Cervatosのように、宗教的、経済的に重要な拠点となり、地理的に囲まれた地域の農業生産の大部分を支配していた。
San Pedro de Cervatos修道院は、Liébana周辺の修道院群やSantillana del Mar修道院と同様、封建領主や王が、すでに小さな領地を所有していた修道士たちに、祈りと聖遺物を保管するための庵(ermita)を建てることを許可したことから生まれた。やがて、隣人や教区民からの土地の寄進や王室からの特権の付与によって、修道院は権力の中心となり、次第に富と支配力を増していった。経済的に優位に立つと、聖ベネディクトの修道院規則を聖アウグスティヌスの修道院規則に変更し、参事会教会となった。Cervatosの古い修道院が参事会教会となる時期に、現在の新しい教会が建設された。
12世紀初頭当時、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は、アルフォンソ6世(Alfonso VI)がベネディクト会士たちに与えた、道沿いに新しい修道院を建てる特権のおかげで、全盛期を迎えていた。パレンシアとブルゴスの地域は、ロマネスクという新しい様式で建てられた小さな建物で埋め尽くされ、カンタブリアでは、南(Campoó と Valderredible)から浸透し、Besaya 渓谷に沿って海岸へと伸びていく。
Cervatosは、Campoó渓谷への入り口に位置し、ローマ時代にはHerrera de PisuergaとSuancesを結んでいたルートにある。修道院の歴史は10世紀まで遡り、999年の文書によれば、カスティーリャ伯Sancho Garcíaによって創設された可能性があるが、その信憑性には疑わしい部分もある。伝承では、Sancho GarcíaとUrracaの子供である数人の幼子がここに埋葬されたという。
この地域の南と西、さらにはパレンシア県北部の渓谷にあった一群の領地があっという間に集められ、修道院を中心に村が形成された。しかし、14世紀以降、不可解な衰退が起こり、セルバトスは不毛の地で、ほとんど人が住んでいなかったと記されている。
教会は1129年にロマネスク様式で建てられたが、ファサードの碑文が示すように、完成したのは1199年である。修道院のための他の建物(回廊、食堂、寄宿舎…)は保存されていない。おそらく、すでに参事会教会であったため、共同体の生活に必要なこれらの要素は必要なかったのであろう。細長い3階建ての鐘楼は、12世紀末に教会の工事が完了した際に建てられた。
この後も、リーフレットを引用するときは太字で書きます。
平面図
リーフレットに平面図がありました。東が右です。
さっそく、見学です。
東側外観(後陣の軒下の柱頭)
後陣には、軒下に四つの柱頭彫刻があります。
内陣南との間にある柱頭が、私は好きです。
動物たちの牙や爪が鋭くて、勇ましいです。
東側外観(窓)
後陣には、三つの窓があります。
私が好きなのは、植物の柱頭彫刻がある中央の窓です。
壮麗で素晴らしいです。
南の窓の柱頭彫刻は、男性と女性が描かれています。
ビジャヌエバ・デ・ラ・ニア(Villanueva de la Nía)の勝利アーチの柱頭彫刻に似ています。
同じ工房が手がけた作品だと思います。良い仕事をしています。
南側外観(南扉口)
南扉口をみます。
まずは、碑文について。
南扉口の向かって右に、碑文があります。
教会は1129年にロマネスク様式で建てられたが、ファサードの碑文が示すように、完成したのは1199年である。
建てられてから献堂されるまでに70年の月日が流れています。
細長い3階建ての鐘楼は、12世紀末に教会の工事が完了した際に建てられた。
この鐘楼が建てられて、晴れて献堂となったのかもしれません。
さて、浮き彫りが六つあります。
大天使聖ミカエル、教会の守護聖人である聖ペトロ(あるいは聖ニコラス)、聖母子、司祭(パンとぶどう酒の犠牲を最初に捧げたメルキゼデクかもしれない)、アダムとエバ、獅子の穴の中のダニエル(魂の再生と救済のしるし)の浮き彫りがある。
浮き彫りもいいんですが、私がこの扉口で一番好きなのは、アーチとティンパヌムの植物模様です。
ティンパヌムなんて、美しいレース刺繍のようです。
その美しい植物模様を引き締めるのは、ライオンたち。
かわいい。
持ち送り以外の外観については、これで終わります。
次回、持ち送りをみます。
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