2023年4月30日(日)の最後、五番目の訪問地は Argomilla。Iglesia de San Andrés です。
ここは、後陣が素晴らしいです。西扉口も良いです。また、私は実物を見ていませんが、インターネットで検索してみたところ、内観(後陣と勝利アーチ)も良さそうです。
教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。
インターネットの情報によると、夏にはガイドツアーがあるようです。
目次
Argomilla へ .
概要 .
平面図 . .
西側外観(西扉口) .
北側外観(持ち送り) . .
東側外観(後陣) .
Argomilla へ
夫と私はサンタ・マリア・デ・カヨン(Santa María de Cayón)から西に約2km、5分ほど運転して、丘の上の教会に着きました。13:45頃のことです。
イェルモ(Yermo)から始まった、長い1日の最後に訪れる教会です。
概要
現地には案内板がありましたが、割れて半分以上が無くなっていました。Románico Digital による概要です。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
教会は、ロマネスク建築が良好な状態で保存されているが、当然のことながら、後世の増築や、外的補強が施されている。
単一の長方形の身廊、浅い内陣、半円形の後陣である。
その後、何年経ったかはわからないが、西扉口は、ゴシック様式のヴォールトを持つポルティコで覆われた。
16世紀から17世紀のものと思われる塔はポルティコの上にそびえ、3層からなる角柱で、最も上の層の四つの側面にはそれぞれ二つの半円形の開口部がある。
教会の南壁に目を向けると、17~18世紀に増築された聖具室の壁に接するまでの長さが約14メートルであることがわかる。
かつて南壁には二つの半円アーチ型の扉口があり、西と東の全長にわたって続く回廊に通じていて、片側はポルティコとつながり、東側は聖具室の壁で閉じられていた。この教会が常に修道院であり、多数の石棺のある埋葬地が保存されていたことを考えると、消失した回廊棟の記憶を反映している可能性もある。
ロマネスク期(12世紀頃)には修道院で、教会の南に回廊があったということだと思います。
平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
西側外観(西扉口)
ポルティコには、鉄柵がめぐらして施錠してあり、入ることができませんでした。隙間から撮影した写真です。
柱頭には、人もいますが、ライオンがいっぱい。
鳥たちもいます。
立派なロマネスク様式の扉口。
ポルティコや塔を建築するとき、アーチの一部を破壊したようです。少し残念。
北側外観(持ち送り)
北側をみます。
軒下には、ロマネスク様式の持ち送りが並びます。
幾何学模様。
動物たち。
動物たちは、ヤギと、ネコ科の動物のようです。
かわいい。
東側外観(後陣)
東に行きます。
窓の一部に重なるように控え壁が取り付けてあります。おそらく、付け柱のあった位置に、補強のために太い控え壁を付けたと思います。
持ち送りと柱頭彫刻が、素晴らしい。
幾何学模様があります。
ライオンのような動物がいます。
二股人魚かな?
怪しくて不思議な生き物たちがいっぱいです。
Iglesia de San Andrés。後陣が素晴らしいです。西扉口も良いです。また、私は実物を見ていませんが、インターネットで検索してみたところ、内観(後陣と勝利アーチ)も良さそうです。
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