ブリシゲッラ(Brisighella)

2022年12月11日(日)の最後、五番目の目的地はBrisighella。San Giovanni Battista in Ottavo (Pieve del Thò) です。

ここは、後陣の外観、祭壇、柱頭彫刻が素晴らしいです。私は行っていませんが、地下聖堂も素晴らしいようです。

日曜と祭日のみ、以下の時間に開きます(2022年現在)。
4月15日~10月15日 15:00~18:00
10月16日~4月14日 14:30~16:30
ただし、祭式がある場合は訪問できません。l’Ufficio Informazioni Turistiche Pro Loco di Brisighella(電話:0546-81166)に予定を尋ねることができます。

目次

Brisighella へ .
概要 .
平面図 .
内観:全体 .
地下 .
柱頭彫刻 .
フレスコ画 .
祭壇 .
ファサード、後陣 .

アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。

Brisighella へ

私はクラッセ(Classe)から南西に約56km、53分ほど運転して、ブドウ畑の向こうに教会を見ました。

北東側外観

私は教会の前に車を停めました。15:20頃のことです。

教会が開いているうちに、中を見学します。

概要

地下に案内掲示がたくさんありました。また、リーフレットや本を販売していました。私はリーフレットを買いました(€2)。

私が案内掲示とリーフレットの一部を抜粋して太字で和訳します。

その名前は、ファエンツァ(Faenza)からラモーネ(Lamone)渓谷に沿ってフィエゾレ(Fiesole)に至るローマ街道の8マイル地点にあることから「in Ottavo」の名がつけられた。

ラヴェンナの公文書館に保存されている909年2月12日の羊皮紙に初めて記されている。

現在の建物は、6本の柱と七つのアーチが2列に並び三つの身廊を持つ、やや非対称なプラン(後陣に向かって広くなっている)である。

この教区教会の起源については、多くの問題がある建築(柱頭、柱)にはローマ時代の石材が使用されている。ローマ時代以前からあった水の神々に関連する信仰が、ローマの宗教体系に吸収され、その後、キリスト教の聖人に捧げられた聖堂が建立されることでキリスト教化された可能性は排除できない。

Pio Lega(1945年から1968年まで教区司祭)により何度か行われた建物内の発掘調査により、現在の後陣の下に6世紀頃の建物の基礎があること、また後陣の地下聖堂として再利用された可能性があることなどが明らかになった。しかし、これらの解釈は難しく、中世初期については、発掘調査で回収され、保存されている遺物の研究に委ねられる。

現在の建物の主要な構造は、左側の2番目の柱の柱頭にある1100年の日付が刻まれた碑文(現在は見えない)に基づき、11世紀末のものとすることができ、これは修復(1932-34年)に伴って明らかにされたものである。

1931年から1933年にかけて行われた修復工事では、内壁の漆喰が取り除かれた。

この後も、案内掲示とリーフレットを引用するときは太字で書きます。

平面図

案内掲示に平面図がありました。東が上です。

平面図

さっそく見学です。

内観:全体

三身廊、一後陣。

身廊にて東を向く

右(南)の側廊の第一柱間に、地下におりる階段があります。

地下

地下空間は、とても広いです。遺物が展示してあります。

平面図で🔴の場所
鐘をつくるための炉

容器やガラスやフレスコ画の断片なども発見されました。

食器類は、この集落が共和制時代末期までさかのぼることができる、かなり古いものであることを証明している。

石柱の一部2本とコリント式の小さな柱頭。この地域にvillaがあったという仮説を立てることができる資料である。一種の農園に主人(ドミヌス)の住居が隣接し、格調高い住居機能を備えていたことを示す資料である。

石柱の一部
中世初期の断片

中世初期の断片もあります。

天井を突き抜く柱は、もともとの床が現在よりも低かったことを教えてくれます。

16世紀に、西側に二つの柱間を追加して教会を拡大し、床を約1メートル高くして地下聖堂を覆った。

地下の東の端まで行くと、地下聖堂があります。でも、私は地下聖堂に行きませんでした。近くまで行きましたが、途中から照明がなくて、真っ暗で怖かったんです。次回には投光器を持って行きます。

地上に戻ります。

柱頭彫刻

6本の柱が2列に並びます。

身廊にて北東を向く
身廊にて南東を向く

6本のうち、東側の5本は、11世紀から12世紀の教会建設時に置かれたと考えられています。

身廊にて北東を向く

また、柱頭、柱や基部は3世紀後半から6世紀初頭の石材を再利用したと考えられています。

また、南西の端の柱の近くに、聖水盤として再利用されている柱頭(おそらく前1世紀)があります。

聖水盤として使用されている柱頭

どの柱頭も、建物に荘厳さを加えています

フレスコ画

後陣のフレスコ画は、12世紀から13世紀にかけて描かれたものである。使徒の一部である断片が現存している。勝利アーチにも、13世紀末のものと思われる断片的な装飾があるが、後陣の断片とは別の手によるものである。

後陣と勝利アーチ

後陣の北側には、2人の人物の衣装の下部が描かれた部分が保存されており、下の碑文から使徒ペトロとアンデレの像であることがわかる。

後陣のフレスコ画

後陣の使徒たちの断片と勝利アーチ以外は、ルネサンス時代の作品(15~16世紀)と考えられています。16世紀に増築されたことを考えても、16世紀まで、かなり資金を注ぎ込まれた教会だったようです。

祭壇

最も重要なのは、現在祭壇に固定されている中世の浮き彫り(8~9世紀)である。

祭壇

中央にいるのは、十字ニンブスなのでイエスでしょう。両側に天使たちがいます。

力づよくて、素晴らしいです。

外観を見学します。

ファサード、後陣

ファサードの前にはポルティコがあります。

西側外観

後陣が素晴らしいです。

北東側外観

盲アーチも良いし、その上のノコギリみたいな装飾も良いです。

San Giovanni Battista in Ottavo (Pieve del Thò) 。後陣の外観、祭壇、柱頭彫刻が素晴らしいです。私は行っていませんが、地下聖堂も素晴らしいようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です