2022年12月3日(土)、最初の目的地はGuardia Vomano。Abbazia di San Clemente al Vomanoです。
ここは、後陣、チボリウム、祭壇前飾り、柱頭彫刻が素晴らしいです。
事前に予約が必要です。私はGoogleマップに載っていたWebサイトを通じて Prof. Antonio Gumina に予約し、ガイドしてもらいました(2022年現在)。
目次
Guardia Vomano へ .
概要 .
平面図と断面図 .
外観:主扉口 .
内観:全体、柱頭彫刻、古代ローマ時代の遺構 .
内観:聖クレメンス像(1270年頃)、地下聖堂 .
内観:チボリウム(1145年頃)、祭壇(12世紀前半) .
外観:後陣 .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Guardia Vomano へ
私は宿から北に約69km、53分ほど運転して、美しい丘の上に着きました。8:45のことです。
ファサードは、北側にあります。地図を見るとわかりやすいです。
黄色の四角が教会です。赤い矢印で示した後陣がほぼ真南にあり、ファサードはほぼ真北にあります。
青色の四角は旧修道院建物。現在は個人宅であり、見学不可です。
赤色の四角は墓地です。(最後に、後陣の外観見学に超重要な役割を果たします。)
予約は9時でしたが、私が教会の北にある駐車場に車を停めていると、隣に一台の車が停まりました。Prof. Gumina でした。
概要
Prof. Guminaからききとった話について、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
修道院の設立は9世紀。『カザウリア年代記(Chronicon Casauriense)』に記されている。「皇帝がカザウリア修道院の建設に追われている間、皇族たちは北上を続け、グアルディア城((Castello di Guardia))に立ち寄り、ここで皇帝の母エルメンガルダ(Ermengarda)が、聖クレメンスの名を冠した第二の修道院を設立することになった。」
縁起から言っても、守護聖人から言っても、ここヴォマーノ(Vomano)とカザウリア(Casauria)とは姉妹修道院です。もちろん、Casauriaが姉です。
この後も、Prof. Guminaからききとった話を引用するときは太字で書きます。
平面図と断面図
教会の外の案内板に平面図と断面図がありました。
平面図。南が上です。
断面図。南が右です。
外観:主扉口
9世紀に設立された修道院は、10世紀にはサラセン人に略奪・放火され、11世紀末にはノルマン人に略奪・破壊された。
修道院は、1108年に再建されたが、それを物語る碑文が扉口に残っている。
「イエスの誕生から1108(LCVIII)年」の碑文
また、アーチ部分には、前半に扉口と寄付者について、後半に12世紀に修道院を再建した建築現場の監督であったと思われる親方(Gniscardus)の名前が記されている。
寄付者と、建築を監督した親方の名前を主扉口のような目立つ位置に刻むのは、このあたりの典型的な習慣である。
ちなみに、11月30日に見学したロショーロ・デイ・マルシ(Rosciolo dei Marsi)も、そうでした。
中に入ります。
内観:全体、柱頭彫刻、古代ローマ時代の遺構
三身廊、三後陣。
柱頭彫刻は、多様なものがあります。
主扉口に近い部分は、身廊の床が透明になっています。
ベネディクト派の修道士は、異教徒の神殿跡に修道院を建てることを好んだが、この修道院も例外ではなかった。床下の発掘調査で、円形の構造物の存在が確認された。型式と建築技術から、古代ローマ時代の遺構との考えが支持されている。
この場所は、古代ローマ時代に、ヘラクレスに捧げる神殿であった可能性がある。
また、修道院の建設に際して、修道士たちは古代ローマのヴィッラ(villa)の資材を多く使用した。教会内には、巨大な柱を含めて複数の遺物がある。
例えば、この開口部の柱石に再利用された浮き彫りも、遺物のひとつなんですが、もとは、きっと90度回転していた向きで使われていたはず。
完全に、ただの建築資材として扱われていますな。
内観:聖クレメンス像(1270年頃)、地下聖堂
主扉口から入ると、向かって左に厳かに祭られた聖クレメンス像があります。
聖人は座った状態で(背面は失われている)、教皇の法衣を身につけ、右手でラテン式に祝福し、左手で書物を持つ。正面性、左右対称性、構図など、いくつかの様式的要素がビザンチン美術だけでなく、13世紀のフランス美術を想起させる。年代的には1270年頃であろう。
人物が縦長で、法衣のひだが豊かで、ゴシック様式の印象です。
聖クレメンス像の隣に地下聖堂の入口があります。
地面の自然な傾斜を利用した地下聖堂。
地上に戻って、ロマネスク様式の祭壇とチボリウムをみます。
内観:チボリウム(1145年頃)、祭壇(12世紀前半)
わお!と驚く素晴らしいものです。
チボリウムは、署名があり、1145年頃にルッジェーロ(Ruggero)とその息子ロベルト(Roberto)の工房によって作られたとわかる。
柱頭の上に載っている四角形部分は、地上世界の全てを表す。羊飼い、動物、植物などがひしめいている。四角は有限、時間、空間を象徴する。
四角形の上には、二つの八角形が重ねられている。推移や変転を象徴し、天と地とを仲介している。
八角形の上の円形は無限を象徴し、天を表す。
超絶に細かい細工が施されています。
このチボリウムのルーツが、南イタリアに広まったイスラム文化にあることは確かであろう。
(ちなみに、11月30日に見学したロショーロ・デイ・マルシ(Rosciolo dei Marsi)には、同じ作者が1150年頃に作ったチボリウムがあります。どちらも素晴らしいです。)
祭壇の前飾り(antependium)は、象眼細工の大理石の板が使われている。象嵌細工と言ったが、大理石にあけられた穴には、大理石ではなく、ガラス片や接着剤を混ぜたペーストが詰められている。
この祭壇前飾りは、チボリウムとは別の職人が手がけたもので、1108年(教会の再建)から1145年(チボリウムの完成)までに作られたものであろう。
ガイドがとても充実していたので、メモを取るのに忙しかったです。Prof. Guminaにお礼を言い、私は1人で後陣へ行きました。
外観:後陣
ファサードに向かって右側に墓地があります。墓地に行って側壁の端まで行くと、素晴らしい浮き彫りが見えました。
きっと、後陣も素晴らしいに違いない。なんとかして、見たい。
でも、フェンスがあって、行けません。
ふと、思い出しました。「そういえば、Corsaさんもここに来たはず。」
その場でCorsaさんのブログを検索して、回答を得ました。これです。
Googleマップの航空写真を見ながら、最高の位置を確かめて、重い可動式階段を押したり引いたりして動かしました。
階段をのぼると、ようやく見えたのが、この後陣。
なんと美しい。
感無量でした。Corsaさんは天才です。
Abbazia di San Clemente al Vomano。後陣、チボリウム、祭壇前飾り、柱頭彫刻が素晴らしいです。
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