2022年12月2日(金)、二番目の目的地はPianella。Chiesa di Santa Maria Maggiore (Chiesa di Sant’Angelo) です。
ここは、外観では西扉口と後陣、内観では説教壇が素晴らしいです。
基本的に閉まっていて、事前予約がおすすめです。Googleマップの写真の中に連絡先を撮影した写真があります。2021年9月に撮影されたもので “Per informazioni Famiglia Puca tel…” と書いてあって、固定電話一つと携帯電話二つの番号が載っています。私はその番号に電話して朝10時に予約しました。(2022年現在、Pucaさんご一家のどなたもWhatsApp等のメッセージ機能を使っていらっしゃいませんでした。)
目次
Pianella へ .
外観:東側(後陣) .
概要 .
フロアプラン .
内観:全体、フレスコ画 .
内観:説教壇 .
外観:西側(ファサード) .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Pianella へ
私はモスクーフォ(Moscufo)から南西に約7km、11分ほど運転して、坂の上の教会に着きました。予約した時刻、10時頃のことです。
予約時刻を過ぎても誰も来ないので、鍵守りのPucaさんに電話すると「すぐに行きます」とのこと。
後陣をみながら待ちました。
外観:東側(後陣)
東側にまわると、三後陣があります。
素敵。
装飾が素晴らしいです。特に主後陣の彫刻が繊細で美しい。
Pucaさんが来ました。教会の中に入ります。
概要
教会の外に案内板が、教会の中に案内掲示がありました。私がそれらの一部を抜粋して太字で和訳します。
教会は、かつてのボルゴ・ディ・ピアネッラ(Borgo di Pianella)の城壁の外に建つ。
その起源は、女神ウェスタ(Vesta)に捧げられた異教徒の神殿の上に建てられたと言われており、紀元331年〜340年にまで遡る。6~7世紀、ロンゴバルド人によって、ここは聖ミカエル大天使教会(chiesa di San Michele Arcangelo)と呼ばれ、その庇護のもと、ドイツの戦士たちが教会や彫像を奉納した。
現在の建物は、12世紀の特徴を備えている。
879年と914年のサラセン人の襲撃の後、装飾が施され、964年に教皇ベネディクトゥス5世によって参事会教会とされた。その後、1080年、モンテカッシーノ(Montecassino)の修道士が到着すると、大規模な改修工事が行われた。しかし、教会に付属していた修道院が消失したことや1856年に行われた修復による被害もあり、現在では、この1080年からの改修工事の規模を十分に把握することはできない。
もともと、身廊は側廊より高くなっていたと思われる。その後、次の世紀に柱が補強され、いくつかの開口部(おそらく、破壊された修道院の部屋への通路として使われていたもの)が塞がれた。14世紀には、鐘楼の建立や、バラ窓が挿入されたファサードの工事により、さらに大きな変更が加えられた。
説教壇は、ロベルト大修道院長の命令(1180年)で親方アクト(maestro Acuto)が制作したもので、碑文には、同じく機敏で優美な扉口の浮き彫りを制作したとある。しかし、扉口は、おそらく親方アクト(maestro Acuto)が他の石工に任せたものであろう。聖母、福音書記者聖ヨハネ、聖ペトロ、聖パウロ、聖ニコラス、ダビデ王が描かれている。
主後陣には、1856年の修復による破壊を免れたキリスト像が残っている。
この後も、案内板や案内掲示を引用するときは太字で書きます。
フロアプラン
案内板にあったフロアプラン。東が上です。
内観:全体、フレスコ画
三身廊、三後陣。
フレスコ画があちこちにありますが、ロマネスク様式のものは主後陣に残っています。
天使の衣装がきれい。
内観:説教壇
北側廊に説教壇があります。
見事な浮き彫り。
碑文があります。
1180年にロベルト大修道院長の命令で親方アクト(maestro Acuto)が制作したようなことが書いてあるそう。
外観:西側(ファサード)
西側(ファサード)には、美しい扉口があります。
まぐさには、聖母とダビデ王と聖人たち。
柱には、驚くほどびっしりと浮き彫りが施されています。
Chiesa di Santa Maria Maggiore (Chiesa di Sant’Angelo) 。外観では西扉口と後陣、内観では説教壇が素晴らしいです。
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