ボミナコ(Bominaco)<2>

前回に教会(Chiesa di Santa Maria Assunta)を見学したので、今回は北隣にある小礼拝堂(Oratorio di San Pellegrino)を見学します。

ここは、もと大修道院の小礼拝堂です。息をのむようなフレスコ画があります。

目次

Oratorio di San Pellegrino へ .
外観:北側(ポルティコ)と西側(西扉口) .
概要 .
平面図と断面図 .
内観 .

アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。

Oratorio di San Pellegrino へ

教会(Chiesa di Santa Maria Assunta)の西扉口を出て、北隣にある小礼拝堂(Oratorio di San Pellegrino)へ。

Oratorio di San Pellegrino(南側外観)

ポルティコのある北扉口から入るため、東側を通って、そちらに移動します。

外観:北側(ポルティコ)と西側(西扉口)

ポルティコがある建物が Oratorio di San Pellegrino、写真の右側で木々の向こうに少しだけ写っている建物が Chiesa di Santa Maria Assunta です。

Oratorio di San Pellegrino(西側外観)

ちなみに、塀があるので分かりにくいですが、Oratorio di San Pellegrino には西扉口があります。

北側外観

これ、フレスコ画の描かれ方に大きく影響しています。詳しくは、後ほど。

概要

案内板の概要です。一部を抜粋して太字で和訳します。

Oratorio di San Pellegrinoは、1263年にテオディーノ(Teodino)大修道院長の要請で再建された。17世紀にポルティコのみが追加された。

内部はシンプルなホールプランで四つの柱間に分かれており、聖職者の区域は大きなプルテオ(plutei、祭壇や聖歌隊席の装飾的仕切り)によって隔離されている。

フレスコ画が展開されている。主に13世紀に描かれ、翌世紀にいくらか追加されたものである。生誕祭と復活祭の周期で典礼年間を祝うもので、3人の親方の手によるものとされている。

いわゆる、幼年時代の親方(マタイとルカの福音書にもとづく共観福音書物語)、受難伝の親方(キリストの受難とSan Pellegrinoの生涯、聖人と預言者たちのメダル、使徒たちの間にいる中央のキリスト)および細密画の親方である。

この細密画の親方の、ビザンチン図像に由来しながらも、巧みで緩やかなタッチで描かれた作品にこそ、最も洗練された貢献が認められる。修道会の典礼用として作られた美しい暦である。

平面図と断面図

案内板にあった平面図と断面図です。

平面図。南が上。
断面図。東が左。

中を見学します。

ガイドは北扉口の鍵を開けると、私にしばらくポルティコで待つように言いました。

その間に照明をつけ、私が中に入った瞬間に、明るい堂内が見られるようにするためです。

内観

堂内に入ると、私は息をのみました。

すごい!

身廊にて南を向く

上の写真の向かって右、第2柱間に、西扉口が写っています。

西扉口から入ると、まず目にするのが、使徒たちに囲まれたイエス。

Cristo fra gli Apostoli

配置を考えて描かれたようです。

使徒たちに囲まれたイエスの上には、ご生誕と、羊飼いへのお告げがきらびやかに描かれています。

natività

大きなプルテオ(祭壇や聖歌隊席の装飾的仕切りで)には、ドラゴンとグリフォンの浮き彫りがあります。

plutei
plutei

プルテオの北側、第3柱間には、これまたきらびやかなフレスコ画があります。

典礼用として作られた暦です。修道士の農作業の目安でもありました。

calendario bominacense

南端にある階段の上からみると、これがまた、すごい。

北を向く

保存状態の良さがひかります。

北東を向く

ガイドと話すうち、悲しい話を聞きました。

過去に、不埒な見学者が壁画の一部を壊したのだそうです。

例えば、第1柱間の東側にあるこちらは、悪魔の顔がことごとく壊されました。

閉鎖するのではなく、ガイドツアーで見学者に公開してくれていることに、ただただ、感謝です。

見学の終わりに

Oratorio di San Pellegrino、もと大修道院の小礼拝堂です。息をのむようなフレスコ画があります。

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