Cathédrale Notre-Dame-du-Puy(大聖堂)の回廊、続きです。ガイドツアーで、通常は一般に公開していない二つを見学します。
⑶北翼廊トリビューンの壁画と⑷Baptistère Saint-Jeanです。
目次
⑶北翼廊トリビューン .
北翼廊トリビューンの二つの扉 .
壁画:全体 .
壁画:西壁 .
壁画:北壁 .
壁画:東壁 .
⑷Baptistère Saint-Jean .
研究プロジェクトが進行中 .
フロアプラン .
内観:全体 .
内観:後陣 .
内観:柱頭彫刻 .
内観:壁画 .
北翼廊トリビューン
北翼廊トリビューンへ行きます。
ガイドと私は、チェスの部屋(屋根裏の階)から、グリフォンの部屋がある階に下り、廊下を南に歩きました。
Le logis des clergeons(少年聖歌隊員の宿舎)の建物と、大聖堂の北翼廊トリビューンとは、小さな扉でつながっています。
北翼廊トリビューンへの扉がこちら。
北翼廊トリビューンに入ります。
北翼廊トリビューンの二つの扉
北翼廊トリビューンは二つの位置に扉があります。北西の角と北東の角です。
<1>の「北翼廊トリビューンに無料で行く方法」でご紹介した通り、私はまず、大聖堂の受付(Accueil)で鍵を借りて見学しました。その鍵を使うと、北西の扉から来ることになります。まず見えるのは東壁で、床の高さから見上げます。
でも、ガイドツアーで北東の扉から来ると、まず見えるのは西壁で、5段のステップの上から眺めることになります。光に照らされた聖ミカエルがグッと迫ってきます。印象が強い。
ぜひ、北東の扉から入って体験してみて欲しいです。
ちなみに、鍵を借りたとき、受付(Accueil)の人が、英語で書かれた本の北翼廊トリビューンのページを示して見せてくれました。その本に書いてあったことは太字で和訳します。
北翼廊トリビューンの壁画をみます。
壁画:全体
東翼廊の上にはトリビューンがあり、大聖堂の交差部に面する南側を除いて、西壁、北壁、東壁にフレスコ画が描かれています。
12世紀初頭に描かれたもの。
壁画:西壁
大天使ミカエルが描かれており、その大きさ(高さ5.55メートル、幅2.17メートル)は、ロマネスク時代のフランスで描かれた像の中で最大である。ビザンチン帝国の皇帝が使用していたマントとストールを身につけ、右手に槍を持ち、その槍でドラゴンを突いている。「ミカエル」の名は「神のような者」を意味する。ミカエルと一緒にいる孔雀は不滅の魂、救いの泉から水を飲む鹿は神民を表している。
「悪に対する善の勝利」が描かれているように思います。
聖ミカエルの左側には、「ソロモンの審判」(旧約聖書の列王記上3章)が描かれています。
生きている子と死んだ子と、2人の女性がいます。そして2人とも「生きているのがわたしの子で、死んだのはあなたの子だ」と言います。玉座のソロモンは、手を挙げて裁きを下します。剣を持って来させ、「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」と命じます。
生きている子の母親は、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言いました。でも、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言います。するとソロモン王は、さきの女性が子供の本当の母親であることを知り、その女性に息子を返します。
「賢明」が描かれていると思います。
壁画:北壁
北側の壁には、竜の討伐に続いて、イゼベルの死の場面を描いた「列王記」の場面が描かれている。
イゼベル(英:Jezebel)はシドン人の王エトバアルの娘で、イスラエル王アハブの妻です(旧約聖書の列王記上16章)。
イゼベルは、ユダヤ人にとって異教のバアルの神殿を建てるわ、ユダヤ教の預言者を迫害するわ、その他諸々やっちゃうわ、で、イズレエルの野原で犬に食われます(列王記下9章)。悪女ぶりも死に様も壮絶です。
描かれているのは、「懲らしめられる悪」だと思います。
壁画:東壁
預言者を迫害して壮絶な末路をたどったイゼベルに続いて、東壁では、預言者たちが聖句(phylactery)を示しています。
2人の天使に挟まれた聖母子像が描かれていたが、使徒と思われる人物の輪郭が残っているだけである。
上部アーチの中央には、祝福する神の手が描かれている。指が7本あるのは、描き写しを誤ったためであろう。本来、この手は親指と薬指を合わせた古典的な祝福の仕方で描かれていたのである。修復されたとき、画家によって隠されていた、立てられた薬指が再発見された。
北翼廊トリビューンの壁画の見学、終わりです。とても面白かったです。
Baptistère Saint-Jean
Baptistère Saint-Jean へ行きます。
ガイドと私は、le logis des clergeons(少年聖歌隊員の宿舎)の建物から青→のように歩いて、東隣へ行きました。
残念ながら合板で隠れていますが、南扉口の両脇には2体のライオン像があります。
南扉口の右の掲示物をみます。
研究プロジェクトが進行中
南扉口の右の掲示物には、こんなことが書いてあります。
安全上の理由から、作業中、洗礼堂は閉鎖します
2004年以来、この建物は、Benedicte Merel-Brandenburgが指揮する研究プロジェクトの一環として、いくつかの研究の対象となっている。このプロジェクトには15人ほどの専門家が参加し、保存記録、現在の建物、地下の遺構を調査し、歴史の再構築を試みている。
このプログラムは、Direction régionale des affaires culturelles d’Auvergne、聖職者、Association des amis du baptistère Saint-Jean と緊密に連携して実施されている。現在の研究は、この建物の建設年代、当初の機能、そしてこれまでに行われた工事や修復を分析することを目的としている。
2006年以降、Sophie Liegard が率いるボランティアと学生(クレルモン=フェラン大学とリヨン大学)のチームによって、調査と考古学的発掘が毎年行われている。2007年からは、Centre d’études médiévales d’Auxerre の Xavier d’Aire と Christian Sapin が、建物の調査を行っている。
考古学的発掘調査で、3世紀頃の硬貨など、古代末期から中世初期にかけての遺物が複数みつかっているそうです。
後陣の大きな柱には、6本の白大理石の柱頭が冠されている。おそらく5世紀頃に作られたもので、この建物で再利用された。この建物の後陣は、(大聖堂の後陣のように)ガロ・ローマ時代のブロックが多数使われており、それらは再利用されたものである。
今後、これまでの歴史認識が変わるような調査結果が報告されるかもしれません。
フロアプラン
回廊の前に掲示してあったフロアプランを編集しました。北が上です。
Baptistère Saint-Jean 内観:全体
洗礼堂の中に入りました。
北側にある八角形の水盤は、オリジナルの洗礼盤と考えられています。
私は思わず歓声をあげちゃいました。美しい。
後陣をみます。
内観:後陣
美しい後陣。
柱頭は5世紀頃のものを再利用したと考えられています。
二つの柱間を持つ身廊に半円形の後陣が続くプランです。
西側をみます。
内観:柱頭彫刻
西側の第一柱間にトリビューンがあります。おそらく、これをつくるとき、補強のために大型のアーチ構造をつくりました。
その大型アーチ構造の裏に、柱頭彫刻が隠れています。
壁画もあります。
内観:壁画
天使のようです。
トリビューンできる前の、柱頭彫刻や壁画が鮮やかに洗礼堂を彩っていたとき、きっと素晴らしかったと思います。
これで、9月7日(水)の見学は終了です。
次回
次回は、ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)の最後に、クロザティエ博物館(Musée Crozatier)を見学します。
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