2022年8月18日(木)、二番目に訪れたのはJou-sous-Monjou。Eglise Notre-Dame-de-Assomptionです。
ここは、私の大好きな教会です。山の中の小さな教会で、持ち送りも良いのですが、クワイヤにとくべつ魅力的な彫刻がならんでいます。
Jou-sous-Monjou へ
夫と私はカンタル県内のサン=サテュルナン(Saint-Saturnin)から南に60分ほど車を運転して、かわいい村に着きました。12時半頃のことです。
見学の前に、概要とフロアプランをご紹介。
Eglise Notre-Dame-de-Assomption の概要
現地には、案内は、みあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』による概要です。一部を抜粋して太字で和訳します。
小さな山の教会(長さ18m38)は、二つのベイからなる身廊(15世紀に改修)と、半円形に続くクワイヤを備えている。
最も興味深いのは、身廊とクワイヤを隔てる勝利アーチである。2m40と非常に狭いが、記念碑的な構想である。両側に柱が2本ずつかかり、3列の迫石を持つ。
アバクス(abacus、柱頭の上に置かれてアーチを支える部分)は、交差模様、市松模様、葉、頭などの装飾が施されている。柱頭の一つには、アブラハムの犠牲(?)、その隣には、怒りに燃える裸の悪魔が描かれている。
刻まれた碑文は、聖書の一文を思い起こさせる。「聖なる者となりなさい わたしは聖なる者であるから 主は仰せになった」これが、飾られている建築物より先に存在することはありえない。ロマネスク時代後期のものであることがわかる。
フロアプラン
教会の中にフロアプランが掲示してありました。東が上です。
外観をみます。
Eglise Notre-Dame-de-Assomption の外観
南北に、15世紀に増築された部分があります。そこの持ち送りが、すごくかわいいんです。
南側の持ち送り
動物たちも
人々も漫画のキャラクターのようです。
北側も見逃せません。
北側の持ち送り
両手をあげる人。
動物の表情が笑っているように見えます。
南扉口も良いんです。
アーチの部分にとってつけたような人たちが、
まるで地蔵のような表情でかわいいんです。
いらっしゃいませ〜
教会の中に入ります。
Eglise Notre-Dame-de-Assomption の内観:全体
教会の中の、全体の様子。
教会の中の注目は、勝利アーチ。でもその前に、クワイヤの小柱のベースをみます。
小さく、簡素な装飾なのですが、
ちからづよい。
最後に、勝利アーチをみます。
北側の装飾は簡素です。
面白いのは、南側。
アブラハムの犠牲(旧約聖書の『創世記』22章)の場面かなと思います。
何とも言えない、真面目なんだけど緊張がほぐれちゃう感じ。
碑文があります。
”ESTOTE ERGO SANCTI QUIA EGO SANCTUS SUM DICIT DOMINUS”
(聖なる者となりなさい わたしは聖なる者であるから 主は仰せになった)
『レビ記』で何度かくりかえされている言葉のようです。
『レビ記』11章45節:
わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。
『レビ記』19章02節:
イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。
『レビ記』20章07節:
自らを清く保ち、聖なる者となりなさい。わたしはあなたたちの神、主だからである。
『レビ記』20章26節:
あなたたちはわたしのものとなり、聖なる者となりなさい。主なるわたしは聖なる者だからである。わたしはあなたたちをわたしのものとするため諸国の民から区別したのである。
主の言葉に従うことを、ものすご〜く細かく、くりかえし説くんですねえ。。。『レビ記』って。
そんなことより、この人。
醜い顔をした、裸の、人か悪魔。
左手に角笛のようなものを持って、右手には棒か槍のようなものを持っています。怖いはずなのに、なんだかかわいい。
Eglise Notre-Dame-de-Assomption。山の中の小さな教会で、持ち送りも良いのですが、クワイヤにとくべつ魅力的な彫刻がならんでいます。
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