2022年8月11日(木)、二番目に訪れたのは Royat。Église Saint Légerです。
ここは、大きな町の丘の上の教会で、地下聖堂と身廊の柱頭彫刻が良いです。
Royat へ
私はモンフェルミー(Montfermy)から南東に36分ほど車を運転して、多くの人でにぎわう町につきました。11時半頃のことです。
素晴らしいブログに教えてもらった通りに、
ティルテーヌ(Tiretaine)川のほとりの大きな無料駐車場に車を停め、
エレベーターに乗って目指す教会のある丘の上に向かいます。
これは便利。エレベーターをおりると、すぐに教会がありました。
まるで要塞。
Église Saint Léger の概要
現地には概要(教会の歴史や建築)の案内は、みあたりませんでした。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』による概要です。一部を抜粋して太字で和訳しつつ、私が撮った写真を載せます。
モザ修道院に属す、サン・レジェに捧げられた小修道院であった。
教会のロマンチックなシルエットはよく知られているが、ロマネスク時代の面影はほとんどない。13世紀初頭の要塞、1830年頃の鐘楼、16世紀の修道院跡、ティルテーヌ川沿いの溶岩流の端にあることなどが注目を集める。
ロマンチックっていう印象は、なかったなあ。私の感覚が変なのか。
建設の経緯は複雑である。玄関間のようなものがあり、その奥に身廊は一つで、半円形の樽型アーチの下に二つの柱間があり、柱頭のある柱で仕切られている。この部分は11世紀に遡る可能性がある。
翌世紀には、後陣が取り壊され、張り出した交差部と、地下聖堂が建設された。この地下聖堂には、以前の聖堂の柱と柱頭が使用されたか(?)。
身廊の北側の柱頭は、エミール・マール(Émile Mâle)が解読したものである。マールは、エゼキエルが髭を剃り、天秤で量ってその一部を風に投げているという(『エゼキエル書』5章1節-4節)。
手元に、田中仁彦・池田健二・磯見辰典・成瀬駒男・細田直孝 訳のエミール・マール著『ロマネスクの図像学』があったので、読み返してみました。(一度は読んだはずなのに、ぜんぜん覚えていませんでしたよ、とほほ。)
第1章(上巻の47ページ)に書いてあるんですが、ここは写本挿絵の模倣例を12世紀の柱頭彫刻に求めるくだりなんです。マールがよく似ていると示したのは、こちら↓の写本挿絵。
マールは、彫刻家が写本入り聖書を見て模倣したと言っています。うーん、あり得るけど、この柱頭がマールの言う通りなのかどうかは、私にはわかりません。
この説明には、ジグムント・スウィチョフスキ(Zygmunt Świechowski)が異議を唱えている。スウィチョフスキは、もっと単純に、強さと正義という二つの美徳の擬人化として捉えている。
こんな細かいことまで知ってる、ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』の著者(Bernard Craplet)が、すごいわ。彼は chanoineってことだから、司祭だと思います。
フロアプラン
教会の中に非常用避難経路図がありました。北が上です。
Église Saint Léger の内観:身廊の柱頭彫刻
身廊にある柱頭彫刻は、二つが目立ちます。
ひとつは、さっき正面からの写真をご紹介した、2人の男。別角度はこんな感じです。
さらに別角度。ヒゲのない若い人がいますが、よく見ると足が浮いちゃってます。
この柱頭の、身廊を挟んで向かい側には、ワシがいます。
首がとれてますが、立体感といい、植物の細かい表現といい、すごい。
Église Saint Léger の内観:地下聖堂
お楽しみの、地下聖堂。
扉は閉まっていましたが、施錠されていなかったので、扉を開けて入りました。
11世紀の柱頭を再利用しているかも、と思わせるような植物模様。
私が好きなタイプです。私がうっとりしながら写真を撮っていると「何かあるのかな」とばかりに人がいっぱい入ってきました。
いったん身廊に行って、その人たちが地下聖堂から出るのを待ち、もう一度もどりました。
その時、花を持ったマダム(たぶん近所の人)が「扉をきちんと閉めてください」とのこと。私は「はい、閉めます」と答えましたが、、、
私が見学を終えて地下聖堂から出ると、マダムがずっとそこで私を待っていました。マダムは私が扉をきっちりと閉めたのを確認すると「ヴォアラ(Voilà)!」と一言。その通り!って感じでしょうか。
きっと、地域の人のこうした地道な努力が教会を守っているんですよね。
Église Saint Léger。地下聖堂と身廊の柱頭彫刻が良いです。
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