カボー(Cabó)

2019年9月の旅行十日目、二番目の目的地はCabó。セウ・ドゥルジェイ(Seu d’Urgell)から南西に約32km、車で約36分の道のりです。

ここでの目的は、Sant Serni de Cabó 。

C-14という大きい道を南下し、オルガニア(Organyà)の町で車を停めて昼食用にパンを買いました。

そして、再び車に乗り、カボー(Cabó)川に沿うように走る細い道をクネクネと西へ約10km。

山々の間を走る道の途中にある、Cabó

Cabóの集落。対岸に家々が見えました。

Cabóの集落

集落のある場所から西に進むと、こんな表示が。

よし。教会はここをまっすぐだな。

木製の看板が好印象。

11世紀のロマネスク教会 Sant Serni の表示

表示に従ってさらに西に進むとロマネスク教会。

ロマネスク教会へは、ここを左

左折します。

目指す教会の鐘が見えました

ここからは道なりに直進。

大きい対向車が来ないことを祈る

遠くに見える山の岩肌、近くに見える山の緑、豊かな水と自然に囲まれた貴重な場所なんですねえ。

美しい自然に囲まれた教会(見えているのは東側)

到着です。

教会の北西側

案内板がありました。

案内板

案内板によると、初期ロマネスク様式の建物に何世紀にもわたって改築や増築が加えられ、複雑な構造を持つ教会です。現在、北向きの身廊があり、樽型のヴォールトで覆われ、北側と西側に半円形の二つの後陣があります。考古学的な調査では、身廊の内側に第三の後陣の基礎と、東から西の方角を向く身廊の遺構が発見されました。これらの発見は、ロマネスク建築では珍しいサン・セルニ・デ・タべルノレズ(Sant Serni de Tavèrnoles)修道院をモデルにし、元々は教会の後陣部分が三つ葉状で、西に向いていたことを示しています。交差部の上には四つの開口部を持つヴォールトがあり、これは、外側から見ると四角いドームになっています。ドームの上には二つの開口部を持つ鐘楼があります。教会は11世紀に建てられた教会で、17世紀または18世紀に大規模な改修が行われました。

案内板にあったフロアプランを、拡大。

案内板のフロアプラン

案内板によると「考古学的な調査では、身廊の内側に第三の後陣の基礎と、東から西の方角を向く身廊の遺構が発見されました。」ってことでしたよね。

じゃ、かつての姿はこんな感じだったのかも?

案内板の画像を使って私が編集しました。

通常、主後陣は東側に配置されますが、こちらの教会の場合はもともと西側にあったものが現在は北側にあるわけですから変わっています。

現地の見学をつづけます。

北西側

北後陣と西後陣には新しく石が積みなおされたような部分があります。

向かって左が北後陣、右が西後陣

東側へ行きます。

北東側

恐らく、教会が東西に向いていた時期には北扉口が主に利用されていたのではないかと思います。教会の南東は急斜面になっていて人通りが無く、北西側に道路があるので。

下の写真では東から西にのびる身廊の遺構が確認できます。

東側

教会に近づいてみます。

東側

正面のアーチの下は一部がガラスになっていて中をのぞくことができました。

ガラス部分から内部をのぞく。西後陣。

西後陣はかなり簡素。

ふたたび少し離れた場所から。

東から西にのびる身廊があったことをあらためて確認できます。

東側

ロマネスク教会の身廊が屋根から崩れて身廊部分を建て直すことなく内陣と後陣だけにしてしまった聖堂の例はいくつか見たことがあります。

あるいは、西向きに建てられた教会をその後の改築で東向きに変えた例もみたことがあります。

でも、ここの場合は改築で南から北にのびる身廊を造ったようですからじつに変わってます。

東側

南側へ行きます。

南側、主扉口

扉は施錠されていました。

南西側

上の写真の南壁と西壁(主扉口のある壁)の地面と接する辺りを見るとよくわかります。

地形が北西が高くて南東が低くなっていること。

もしかすると、もともと西に内陣(聖域)を配置した理由はこの地形だったのかもしれません。

通常、ロマネスク教会は聖域を高く、身廊(信者席)を低く造りますが、この地形だと西を内陣にする方が都合が良さそうです。

東側

Sant Serni de Cabó、豊かな自然にかこまれ、高台にたたずむロマネスク教会です。

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