エル・ビラル(El Vilar)

2019年9月の旅行九日目、二番目の目的地はEl Vilar。エンゴラステル(Engolasters)から北東に約14km、車で約17分の道のりです。

ここでの目的は、Sant Joan de Caselles。

私が訪問する9月12日に教会が開いているか、事前に自治体に問い合わせたところ「教会は6月15日から9月7日まで開いている予定ですが、9月12日に開けられるかを責任者に尋ねることのできる連絡先をお伝えします」と返信をもらったんです。

その連絡先は、目指す教会から350mほどの場所にあるホステルでした。

そのホステルに連絡し「9月12日11時に伺うので、教会の鍵を開けてください」と頼み、了承してもらえてホクホクしていた私。

直前に訪問した教会(Sant Miquel d’Engolasters)の姿と眺めが素晴らしくて、つい時間を忘れてしまい、ホステルに着いたのは11時03分。

ああ、もっと早く来るつもりだったのに。

教会の鍵を開けてもらうため、まずホステルへ

大急ぎでホステルに駆け込みましたが、誰もいません。

ハロー???

誰も出てきてくれないので、建物の奥に進み、人を探しました。すると、片付けをしている風のおばあさんが、ひとり。

あ、英語じゃダメだ。。。

必死でカタルーニャ語をひねり出して「ラ・クラウ・デ・レスグレシア(教会の鍵)」と言いながら身振りで鍵を開けて欲しいことを伝えると、おばあさんは「鍵を持っている人はもう教会へ行きました」と言っている気がしました。

さらに必死で「La persona amb la clau è già in l’església(鍵を持つ人は、もう教会に)?」となぜかイタリア語混じりになりつつ尋ねると、どうやら、当たり。よしっ!

お礼を言ってホステルを後にし、夫が待つ車に飛び乗るなり教会へと突進です。

なぜなら、この教会(Sant Joan de Caselles)の次に見学する教会(Sant Romà de les Bons)のガイドとの待ち合わせは12時の約束だったから。この時、既に11時09分。移動して教会見学してまた移動、を50分以内に済ませねばなりません。

教会(Sant Joan de Caselles)の西にある駐車場に車を停めたのが11時14分でした。

教会の西にある駐車場

上の写真を撮った場所から東を振り返ると、逆光でよく見えませんが、教会があります。

教会の西側。緑の中にたたずむ教会。

次への移動を考えると、教会を見学できるのは、わずか30分。走って教会へ。

教会の北側。主扉口の前にひさしがあります。軒先に装飾があるはずなんですが確認し忘れました。

教会の鍵、開いていました。

主扉口(北扉口)の鍵

無骨な大きい鍵です。

教会の大きい鍵が好きなもんだから、角度を変えてもう一回。

教会の中には女性と男性が1人ずついて、私の他に団体の予約が入ったから準備をしているそう。その団体向けにガイドするから一緒にどうぞ、席について待ってて下さいとのこと。

私は待つ時間が無い上にカタルーニャ語があまり分からないから断ったんです。すると「急いでスペイン語でガイドしましょうか?スペイン語は分かるんでしょ?」まで言ってくれたのですが、スペイン語もそんなに分からないし、あえなく辞退。

それなら、と、一生懸命ファイルを探して、英語で書かれた案内のプリントをくれました。何度か使ったようで、くしゃっと折れた貴重そうなやつ。なんか心あたたまる。

そのプリントによると、

初期ロマネスク(10〜13世紀から)の礼拝堂、カニーリョ(Canillo)教区
この礼拝堂はアンドラの重要な国定史跡です。礼拝堂の個々の要素は、それらが建てられた時代を反映しています。
 ・身廊:ロマネスク様式で、それ以前の遺構を持つ
 ・屋根:ロマネスク様式。
 ・鐘楼:ロマネスク様式で、アンドラで唯一、教会の建物に触れていない鐘楼。
 ・アトリウム:14世紀ゴシック様式で豊かな木製装飾、ポーチには17世紀の兆候。

祭壇画
祭壇の上にある壮大な祭壇画は、1525年にカニーリョ出身の親方によって作られたものです。上の部分には、福音書記者である聖ヨハネの生涯の場面が描かれ、パトモス島からの黙示録的なヴィジョンが示されています。祭壇の下部には、キリストの受難の場面を見ることができます。この祭壇画は1935年に盗まれ、その後スイスで発見されましたが、そのとき残念ながらキリストの受難の部分は含まれていませんでした。このため、この部分は現在、描画となっているのです。

キリストの奇跡
祭壇画を探し出す過程で、他のロマネスク様式の作品がいくつか発見されました。発見された部分だけが追加、復元され、元の作品が再構成されています。発見された作品だけでなく、カルバリの壁画も12世紀のものです。

プリントにはフロアプランがなかったので、wikipedia からフロアプランをご紹介。(何世紀のものかという分析がプリントと異なります。)

wikipediaに掲載されているフロアプラン。

黄色の部分が最も古い部分、橙色の部分が次に古い主扉口前のアトリウム、紫色の部分が最も新しく増築されたポーチです。

見学に話を戻します。まずは、教会の内部から。

西側を背にして後陣を向く
後陣を背にして西側を向く。

祭壇画を探し出す過程で見つかったという、ロマネスク様式の作品は、南壁にあります。

南壁のロマネスク様式の作品

このロマネスク様式の作品の再発見について、実は、この教会(Sant Joan de Caselles)の次に見学した教会(Sant Romà de les Bons)のガイドに、もっと詳しく教えてもらったんです。

ガイドのロベルトによると、、、

それは16世紀のこと。ときの司教は、このイエスが苦しみの表情でないことが気に入りませんでした。受難の場面にあれば、こんなに穏やかな荘厳の表情ではなく、きっと苦しんでいるはずだ、と言って。

南壁のロマネスク様式の作品(部分)

なんと、その司教、この磔刑像を捨てるように信者に指示したのです。指示された信者たちは、司教の指示ですから従わない訳にいかない。でも、捨てるなんて、、、と悩みます。そして、なんとなんと、信者たちは磔刑像を隠すことにしたんです。

隠し場所は、16世紀の祭壇画の下。

隠し場所は、メメント・モリの骸骨のところでした

信者たちは、この穏やかな表情のイエス像を敬愛するあまり(捨てるなんてできず)、ときの司教にみつからないよう隠し、いつか本来の場所に戻るよう、願っていたに違いありません。

400年が流れて、1963年のこと。発掘調査でまず指が見つけられ、さらに、顔も。

イエスは今、元の場所に復元されています。

南壁のロマネスク様式の作品

イエスの磔刑像を囲む壁画は、一部修復されていますが、槍を持つロンギヌスとステファヌスは12世紀のオリジナルです。

本来の場所に戻って、ほんとうに良かった。

北壁に立って後陣と南壁をみる

さて、教会の外部を見学します。

アトリウムから鐘楼のベースを向く。向かって右にあるのが主扉口。

上の写真の場所から振り返ると、ポーチがあります。

アトリウムからポーチを向く。

ポーチは比較的新しいです。

ポーチ

外からポーチを見ると

教会の西側

少し離れて、教会の全体像を

教会の南西側。

東側に行ってみます。

教会の東側

上の写真を撮った場所から周囲の様子を動画に撮ったのを、YouTubeにアップしました。

教会の南側は崖になっていて谷底には美しい川のせせらぎ。初期ロマネスク教会が建てられた1000年前から変わらない流れなのかも。

山を背景に後陣と鐘楼を撮りたくて、教会から離れました。

北東側

Sant Joan de Caselles。とりまく常盤色の山と、清らかな川と、権力者から捨てろと指示されたイエス像をひそかに保管するような心あたたかい信者たち。それらのひとつひとつが、ロマネスク様式の教会の素晴らしさを守って、かがやかせています。

“エル・ビラル(El Vilar)” への2件の返信

  1. こんばんわ!
    また寄らせていただきました。
    時間がない中、無事に見学出来てよかったですね。
    旅行していると、色々なトラブルもありますが、
    人のやさしさも感じますね。
    質素だけど力にある教会ですね。
    素敵な旅をされていますね。
    ありがとうございます。

    1. ネコシバさん、お寄りくださりありがとうございます!
      返信が遅くなりました。ごめんなさい。
      旅行していると人のやさしさが一層じわっと身にしみます。
      素朴なロマネスク教会を巡る旅ではいつも良い縁に恵まれるような。
      また旅に出たいなあと本のページをくる今日この頃です。

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