バルガ(Barga)

2019年GWの旅行十日目、二番目の目的地はBarga。ピエヴェ・ディ・ブランコリ(Pieve di Brancoli)から北に約32km、車で約43分の道のりです。

Bargaは「イタリアの最も美しい村」の一つで、中世の町並みが魅力的です。フォッソ広場(Piazzale del Fosso)に停めやすい駐車場があるので、歩いて大聖堂に向かいました。

レアーレ門(Porta Reale)から中世の市街に入ります。

Bargaでの目的は二つ。

昼食とサン・クリストフォロ参事会教会(Collegiata di San Cristoforo)です。

まずは昼食、と歩いていると、高台のてっぺんに鐘楼が見えました。

この村自体が海抜410メートルのトスカーナ・アペニン丘陵にあり、セルキオ渓谷の中心として丘の上に立地していますが、わけても鐘楼は一番高く堂々と。

すごいわ、鐘楼

昼食したのは、こちら。

L’Osteria Di Riccardo Negri
Piazza Angelio, 13, 55051 Barga LU

中は明るくて絵画作品が所狭しと並んでます。

壁一面に絵が展示されて

一人で食事をしているとオーナーのリッカルドさんが挨拶に来てくれました。

「絵は母の作品なんですよ。」との事。明るい雰囲気で好きです。

美味しくいただきました。

さて、ロマネスク見学です。

坂道を登ってサン・クリストフォロ参事会教会(Collegiata di San Cristoforo)へ。

見えて来ました。

最後まで、みっちり坂道。

坂道を登りきると、ファサードが見えました。

西扉口(ファサード)と南壁

教会も立派なんですが、目の前が絶景です。

眺めが良いので山並みと遠くに見える家々をホホゥと見ましたが、なにしろ風が強い。ヘタレな私は、すぐに教会見学再開。

西扉口
西扉口と鐘楼
西扉口
西扉口。じっくり見ると、面白い。

HPによると教会は毎日8:30~18:30まで開いています。

中に入ります。

フロアプラン付きの案内板がありました。それによると、教会は9世紀から17世紀にかけて四つの段階を経ています。ファサードは、14世紀の拡張工事の時に初期の教会の側壁を改築しました。また、16世紀から17世紀にかけて後陣が破壊された時に二つの小礼拝堂が造られました。

ファサードは主にロンバルディア・ロマネスク様式で、主扉口(1)のまぐさには葡萄の収穫を描いた浮き彫りがあります。鐘楼に近い北扉口(2)には12世紀のビドゥイノ(Biduino)様式の浮き彫りがあります。

内部はバシリカ・プランの三廊式で南側の一番目の柱には聖ルチアを描いた14世紀のフレスコ画(3)があり、南壁にはニコラオ・ランドゥッチの署名がある19世紀の大きなキャンバス画があります。

身廊には12世紀後半の説教壇(5)があり、三博士の礼拝、ご生誕、受胎告知、預言者イザヤが描かれています。内陣は13世紀の色大理石の遮蔽板(6)で囲われおり、主祭壇の後ろには12世紀末の聖クリストポルスの彩色木像(7)があります。

括弧()内の数字はフロアプランに対応しています。そのフロアプランがこちら↓

案内板のフロアプラン

見学再開です。

北側廊
南側廊
南側廊の(3) 聖ルチアを描いた14世紀のフレスコ画

身廊を進むと(5)説教壇、(6)内陣を囲む色大理石の遮蔽板、(7)主祭壇の後ろの聖クリストポルスの彩色木像が迫ってきます。

まず(5)説教壇を見ます。

身廊の(5)12世紀後半の説教壇

受胎告知とご生誕

下にいるライオンは何だかうれしそうな顔だし、

妙に嬉々としてるライオン

上にいる三博士や聖母子は厳かな喜びに包まれています。

東方三博士の礼拝

そんな中、私が気になったのは、こちら。

ライオンの後ろにいる、我慢強い人。

かれこれ800年くらい、ライオンの尻をみながら、ここでじっと耐えていらっしゃる。

次に(6)内陣を囲む13世紀の色大理石の遮蔽板を見ます。これがもう、圧巻。

中央の身廊だけでなく、側廊にもずっと色大理石で囲いがしてあります。

近づいてみると、これが、細かい!

見事な細工

別の角度から。色の違う大理石で一つ一つ描かれています。
生き生きと描かれる動物や植物たち

夢中で見入っては、あ、そうだった、とシャッターを押し続けました。こんなに近くでじっくり見られるのは、うれしい。

次は(7)主祭壇の後ろの12世紀末の聖クリストポルスの彩色木像

大男っぷり、いい感じじゃないですか?

聖クリストポルスは3世紀頃の殉教聖人。大男で力持ちで、最も強い王に仕えたいと考えていた彼は、旅人を背負って川を渡る仕事をしていました。ある時、子どもの姿をしたキリストを肩に乗せて川を渡り、真の王を悟った彼は、クリストポルス(キリストを背負う者)と改名します。

たいてい、肩に子供を乗せた大男として描かれます。旅人の守護聖人。まっすぐな性格だし力持ちだし、人気者です。

祭壇を背にしてファサードを向く

外に出て北側に行き北扉口(2)の12世紀のビドゥイノ(Biduino)様式の浮き彫りを見ます。

北壁
北扉口

装飾部分を大きく

中学校の遠足っぽい集団がいて先生がまぐさを指差して何やら説明していましたが、聞きとれませんでした。

聖ニコラウスの奇跡の場面。

聖ニコラウスは4世紀頃の小アジア(ミュラ)の司教で、ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』には数々の奇跡が書かれています。貧しい貴族の三人の娘が身売りされるところを救った話。嵐を静めて水夫たちを救った話。荷揚げされた小麦を増やして地方を飢饉から救った話。讒訴によって処刑されるところだった三人の将軍を救った話。

余談ですが、聖ニコラウスって、怒って刑吏の手から刀をもぎとったり、ちからづくで錠のかかった入口を押しあけたり、かなりアクティブな聖人で、面白いの。船乗りや子供の守護聖人で、贈り物をくれて子供に優しいことからサンタ・クローズのモデルとも言われています。

このまぐさに描かれているのは『黄金伝説』で聖ニコラウスの最後をしめくくる話。概略をご紹介すると:

ある金持ちが聖ニコラウスのおかげで息子をさずかり、アデオダトゥス(神からさずかった者)と名付け、毎年聖ニコラウスの日を祝った。ある日、少年アデオダトゥスはハガル人(ヨルダン川より東に住む流浪の民)たちに捕らえられ、彼らの王のもとで召使にされた。少年は異国の王の前で酒杯をささげもちながら、囚われの身を嘆いた。王は「おまえのニコラウスなどがなにをしようたって、この国からはけっして出て行かさぬぞ」と言った。すると、たちまち大つむじ風が起こって、宮殿をおそい、少年を杯もろとも拉し去り、ちょうど両親が聖ニコラウス祭りを祝っていた扉の前につれもどした。

話を見学中のまぐさに戻すと、ここには片側に悪い人(異国の王)、真ん中に髪をつかんで若者を両親の元へ帰す聖ニコラウス、片側に良い人(キリスト教徒)が描かれていると思います。

そんな北扉口も、いいんですがね。

実は私が北壁で見入ってしまったのはロンバルディア帯の装飾でして。

高い位置だし数は多いし、見づらいけど、望遠レンズで挑戦
かなり細かい彫り
何してるとこ?
みつめないで

サン・クリストフォロ参事会教会(Collegiata di San Cristoforo)。西扉口、北扉口、説教壇、色大理石の遮蔽板、聖クリストポルスの彩色木像、と見どころ満載ですが、もしお時間許すなら、北壁の装飾も楽しんじゃってください。

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