2019年GWの旅行九日目、四番目の目的地はSan Piero A Grado。ヴィコピサーノ(Vicopisano)から西に約30km、車で約29分の道のりです。
アルノ川はピサの町を通ってリグーリア海へと流れます。現在、San Piero A Gradoはピサとリグーリア海との中間に位置します。
ここでの目的はサン・ピエトロ・アポストロ聖堂(Basilica di San Pietro Apostolo)。使徒聖ペトロに捧げられています。
到着すると、まず、大きく開けた平野。広い芝生の上にロマネスクの後陣とロンバルディア帯が見えて、驚きます。
小さいロマネスク教会を、ときには山の中に分け入って訪ねる私。こんな開けた場所の大きい聖堂って、珍しい。
大きいですが、不思議と威圧感は無く、ロンバルディア帯や後陣、古い石積みの奥ゆかしさが心を落ち着けてくれます。
ぐるっと一周してみました。
芝生が気持ち良い!
北側には扉口が三つ。
北側の扉口のうち、向かって一番左が気になりました。
壁のロンバルディア帯に皿が飾られていますよね。ここにあるものは再生産品で、本物はピサの美術館(Museo Nazionale di San Matteo)に保管してあるそうです。
北側の中央の扉口から入ります。
入り口に、いっぱい、張り紙がありました。
聖堂の開堂時間
11月1日から3月31日は9時から16時半
4月1日から10月30日は9時から17時半
聖ミサの時間
平日は18時
日曜祝日は9時と11時半
聖ミサの時間は観光目的の訪問は禁止です。
中に入ります。
上の写真にちらっと写っている、案内板(上下に赤い線があって黒い脚で支えてるやつ)。片面はイタリア語、もう片面は英語で書いてあります。
聖堂によっては英語面は壁にくっつけてしまって、イタリア語の面だけが見えるように置いてありますが、ここのは、ちゃんと両面が見えるように置いてありました。両面が見えると助かりますよね。
案内板のフロアプランがこちら。
さらに、本(€10)とリーフレットも置いてありました。
リーフレットによると、サン・ピエトロ・アポストロ聖堂(Basilica di San Pietro Apostolo)は10世紀末に遡るロマネスク建築。この砂浜に最初に聖堂が建築されたのは4世紀で、二番目の聖堂の後、三番目に建てられた聖堂です。この場所はSan Piero A Gradoと呼ばれますが、Gradoという名は、エトルリア時代から主要な寄港地であり、古代ローマ時代にはアルノ川の河口近くであった(gradus は entrance や access の意)ことからきています。ここは使徒ペトロがアンティオキアからローマへと向かう旅で西暦42年に上陸した場所であり、イタリアの土地に最初の祭壇を建てた場所と言われています。
なお、本と案内板には、使徒ペトロが上陸したのは西暦44年と書いてあります。
当初、ファサードは西に面し、三つの後陣は東に面していました。12世紀末に恐らく洪水でファサードが崩壊し、現在の建物に変更されました。同じ頃、高さ37メートルの非常に堅固な鐘楼が建てられ、その頂上からはピサからリヴォルノやトスカーナ諸島まで見渡せたと言います。この鐘楼は1944年に撤退したドイツ軍によって破壊され、50年代に元の素材で部分的に再建されました。
聖堂の北壁には、過去にはチュニジア、エジプト、モロッコ、シチリアから来た陶器が200以上ありました。現在、63枚が残っており、ピサのサン・マッテオ国立博物館(Museo Nazionale di San Matteo)に保管されています。聖堂で見られるものはコピーです。西側のファサードが崩壊してからは北側が常に最も重要であったため、他よりも装飾された扉口があります。現存する最も古いものは小さな扉口であり、前の建築の遺構があります。8世紀の大理石の断片で、彫刻で装飾されています。
内部には、木造の屋根で覆われた三つの身廊があります。東には三つの後陣があり、西には一つの後陣があり、東洋の花崗岩とギリシャの大理石の柱が身廊の壁のアーチを支えています。内部の壁面はかつては全てフレスコ画で覆われていたと考えられています。左の小後陣には聖母マリアと12使徒を描いた12世紀末のフレスコ画があります。右の小後陣は破損していますが、聖母マリアが描かれています。中央身廊のフレスコ画は1300年から1312年にかけて製作されました。
その、フレスコ画はこんな感じです。
ロマネスク時代のフレスコ画は、なんとか見えるかな、って感じ。
考古学的発掘が行われた場所は石がむきだし。
14世紀のゴシック様式の天蓋(ciborium)の下には使徒ペトロが作った祭壇があるそうな。
サン・ピエトロ・アポストロ聖堂(Basilica di San Pietro Apostolo)、内部のフレスコ画が圧倒的に訴えかけてきますが、考古学的遺構や北壁の装飾を眺めながら、ロマネスクの時代や、その前の時代のことを思って、しみじみしました。
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