2019年GWの旅行五日目、三番目の目的地はCellole。サンタッピアーノ(Sant’Appiano)から西に約22km、車で約30分の道のりです。
12時半頃にサンタッピアーノ(Sant’Appiano)を出て、州道69号線を車で移動していると、道端にたくさんの車が停まってて、みなさん写真を撮ってました。Celloleからすぐ南西のあたりです。
その後、Celloleの教会へは、細い山道をうねうねと進みます。
ここでの目的はチェッロレのサンタ・マリア・アッスンタ教会(Pieve di Santa Maria Assunta a Cellole)。
グーグルマップでこの教会を見ると、Monastero di Bose のHPが載っています。そのサイトに書いてあったメールアドレスに、私の訪問予定日に開いているか、何時から何時まで開いているかを問い合わせると、丁寧な返信がありました。
チェッロレの教会は2019年4月28日の日曜日は開いており、修道院の祈りの時間外に訪れることができます。
9.00から10.45まで
12.00から16.45まで
5.45pmから7.45pmまで
なお、祈りの時間は次のとおりです。
8.00 朝の祈り
11.00 聖ミサ
17.00 夕べの祈り
20.00 夜の祈り
どうやら、この教会が外部に対して開かれるのは聖ミサがある毎週日曜だけらしいんです。日曜だけ開く教会のためにアレッツォを切り上げてシエナに来たと前述しましたが、その教会の一つがここ。日程をやりくりしてでも来たい、素晴らしい教会です。
ようやく着くと時刻は13時過ぎ。訪問可能な時間です。車を停めて振り返ってびっくり。大パノラマです。
修道院の北に教会があります。
案内掲示をよく見ると、修道院は一緒に祈りを捧げたい人を絶賛募集中。
もし修道院にゲスト参加したら朝5時半に起きて6時から祈るの?怠け者の私としては寝ていたい。。。というか、20時以降は静かにしてなきゃいけないなら、とっとと寝ちゃえばいいのか。いや、そもそも雑念や欲望が多すぎて参加できないよ、私。
なんてことを考えながら、修道院を見ました。
若い男性が一人、案内掲示がある建物から出て、こちらの建物に入って行きました。
そして、男性が出てきた案内掲示がある建物を振り返ると、昼休みの時間で閉まっていましたが、展示室っていうのかな、扉があります。
こんな張り紙が。
男性が出てきたガラス扉の内側に赤ちゃん(可愛い子でした😍)と女性がいて、目が合ったので張り紙を指差しながら話しかけると、別の男性が一人、出てきてくれたんです。
イタリア語で「こんにちは、教会の本があるんですか?」と尋ねると英語で「まだ出来てなくて、これから出版予定なんですよ」と穏やかな笑顔で返答してくれました。
ああ、いつかきっと、私がこの本を手にする日が来ますように。(相変わらず欲望のカタマリな私)
さて、見学。修道院の北に教会があります。
教会に近づきます。
入ります。
入ってすぐの場所にリーフレットがありました。イタリア語版と英語版。
それによると、教会に関する最も初期の文書記録は949年と1011年。当時は洗礼者ヨハネに捧げられていたようですが、1034年以降は被昇天の聖母マリアに捧げられたと記録されています。教会は長さ30m、幅15m、長方形のバシリカ・プランで半円の後陣が一つあり、後陣には豊かな彫刻があります。柱には柱頭彫刻があり、うち二本の柱には15世紀のフレスコ画で聖人(聖アントニウス、アレクサンドリアの聖カタリナ、聖ベネディクト)が描かれています。
教会に関する興味深い文書がシエナ国立公文書館に保存されています。1232年6月17日から1254年8月2日までの日付の12通の羊皮紙で、これらが示すのは「教会にあるハンセン病患者の家(mansio leprosorum)」に関する様々なエピソードです。この場所は修道士や修道女のコミュニティによって運営され、司祭によって統括されていました。そして彼らは恐らく、ハンセン病患者でした。
司祭は近くの町サン・ジミニャーノから来たバルトロメオ・ブオンペドーニ(Bartolomeo Buompedoni)。50歳頃にハンセン病にかかった彼はその後、約20年もの間ずっと、不名誉に社会から疎外された人々を受け入れ、ともに苦しみつつ、救いたいと願う深い思いやりで人々を包みながら、神に仕え続けました。
私は、このリーフレットを読むまで全く知りませんでした。13世紀頃、この場所にそんな歴史があったんだ。
ロマネスク建築についての追加情報を、ゾディアック(Zodiaque)の la nuit des temps を参照してご紹介します。
1109年の文書記録があり、恐らくその頃に現在も残る教会の最も古い部分(後陣、ファサードの装飾の一部、鐘楼のベースや建物のプラン)が造られたようです。
アッバディア・イゾラとの共通性から見ても、柱は12世紀後半以降に造られたものでしょう。教会内部の南側壁に修築に関する碑文「REMOTA. FRUIT. H. PLEBIS. A.M.CXC. IN. ITA. FACTA TEMPORE. HE OF . PLE.」があり、この年代を裏付けます。(MCXCはアラビア数字だと1190ですもんね〜)
ファサード、側壁、後陣の両脇の端壁は1238年に遡るものでしょう。ファサードの扉の向かって左に碑文「A.D. MCCXXXVIII CON-SUMATIO PLEBIS.」があります。
南側廊の第一ベイ(最もファサードに近い場所)に鐘楼がありましたが、塔は19世紀半ばに取り壊されました。現在はベースだけが残っており、洗礼堂として利用されています。
ここの簡素なフリーズ彫刻が美しい。
さらに教会内部を見ます。
動画をユーチューブにアップしました。
この教会は特に後陣と柱頭が素晴らしいんですが、まず、柱頭から。
どれも簡素で気高く、素晴らしい彫刻です。
柱頭を楽しんだら、次は後陣です。
一見すると、なんでもないようですが、
近づいて、あっと驚嘆、レース模様のような繊細な浮き彫りがビッシリです。
七つのアーチそれぞれに、非常に細かい彫り。しばらく、ただ見入ってしまいました。
13世紀にここにいた人達は、いったい、どんな心持ちだったんだろう。高台から広がるパノラマの眺望や、ため息が出るほど素晴らしい彫刻を、見たんだろうか。
チェッロレのサンタ・マリア・アッスンタ教会(Pieve di Santa Maria Assunta a Cellole)、後陣と柱頭の崇高な彫刻が訪れる人の心を打ちます。
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