2019年ゴールデンウィークの旅行の始まりはフィレンツェでした。
4月24日(水)の夜遅く、飛行機はほぼ定刻に着陸。ホテルで予めチェックインしていた夫と合流して、翌日からのロマネスク・ツアーに備えてゆっくり休みました。
泊まったホテルは、こちら:
La Torre del Cestello
Borgo San Frediano, 8, 50124 Firenze
Tel: +39 055 239 6196
三泊総額€383.80。
私は二泊だけで4月26日(金)からはアレッツォ(Arezzo)に泊まりますが、夫は4月27日(土)の早朝にフィレンツェ空港からスペイン(週末のサッカー観戦)に移動するため、三泊目は夫が一人で泊まります。
ぐっすり熟睡。
4月25日(木)の朝、気持ちよく起きて、まずはSIMを入手しようとTIM(通信会社)の店へ。SIMがあれば移動中にネットが使えます。
ネット問題、その1の始まりです。
調べるとフィレンツェ市内には三つのTIM店があり、一番早い時刻から営業を始めるのはフィレンツェSMN駅近くの店だったので、そこに歩いて向かいました。
この時はまだ、不幸な事実を知らずに散歩気分でした。
店の前で待って、9:00の開店早々入店した夫と私。事前にオンライン購入してあったSIMを受け取ろうと、購入控え書類を見せました。が、
「こちらの店では取り扱ってないSIMです。ドゥオーモ前の店で扱っています」
とのこと。ならばと、てくてく歩いて9:30開店と聞いていたドゥオーモ前の店に行きましたが、一向に開店しません。
もしかして、解放記念日(Aniversario della liberazione)の祝日で休み⁉︎
嫌な感じが漂いましたが、何か出来ることないかと、駅前の店まで歩いて戻り「ドゥオーモ前の店は閉まっていました。どうにかなりませんか?」と聞いてみました。
「既にそのSIMをオンライン購入済みなんですよね?当店では新タイプのSIMのみ扱っていて、そのSIMはないんです。ドゥオーモ前の店に明日行ってみてください」とのこと。
がーん。今日いちにち、SIM無しで過ごすのか。
さらに「同じTIMブランドですが、別会社なので、あちらが今日なぜ休業なのかは分かりません。多分祝日みたいなものだからかと思いますが」
祝日みたいなもの、かあ (T_T)
営業してて欲しかったよ、ドゥオーモ前の店。明日までとはいえ、ホテルのWIFIだけでネットするのは、ネット依存度の高い私には辛いことです。
ネット問題その1は店が休業していたこと。はあああああ。(そして、ネット問題その2は、次の日に起きたのです。)
ま、歩きまわって疲れたし、ブランチする事にしました。
行った店は、こちら。
S.forno
Via Santa Monaca, 3r, 50124 Firenze FI
Tel. +39 055 239 8580
食べたのはこちら
オーガニックや地元食材を主に扱っていて、意識高い系の客が多いかも。全て、優しい上に味わい深くて、夫と分け合いながら美味しく食べました。
さて。聖堂見学です。
フィレンツェでの目的は二つ。ドゥオーモの下のクリプト(Crypt of Santa Reparata)とサン・ミニアート・アル・モンテ教会(Abbazia di San Miniato al Monte)です。
ちなみにドゥオーモ(Duomo)は「神とその民の家」を意味していて、その町いちばんの聖堂を指します。
最初に Crypt of Santa Reparata に行きました。
長蛇の列に気圧されますが、こればかりはどうしようもない。
大聖堂の地下にあるクリプトに入るには、大聖堂の地上部分だけを無料で見る人と同じ列に並んで、セキュリティ・チェックを受けるんです。
ちなみにクリプト部分は有料。チケットは公式サイトからオンライン購入できます。
30分以上並んでやっと大聖堂に入ることができました。
現在のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)と、むかしサンタ・レパラータと呼ばれていた大聖堂の規模と位置が示されている掲示がありました。
ちなみに Santa Maria del Fiore は花の聖マリアという意味。
サンタ・マリア・デル・フィオーレがサンタ・レパラータよりもずいぶんと大きく造られていますが、これは新しい大聖堂を建設した13~15世紀当時、近隣の都市であるピサやシエナに大聖堂が造られていたので、これをしのぐ大きさの大聖堂を造ろうと頑張ったから。
上の写真の中で、AからGのアルファベットの「E」の字がある辺りに地下へ下りる階段があります。
オンライン購入したチケットのバーコードを機械に読み取らせて、入場。
掲示によれば、1974年、およそ10年にわたる発掘調査の後、現在の大聖堂の地下に眠っていた考古学的な遺構が一般に公開されました。
明るみになったのは、1世紀から14世紀の間に階層的に形づくられたフィレンツェの都市の姿でした。
紀元前1世紀の終わり頃から築かれた帝政ローマの城壁の内側に、5世紀の初め、初期キリスト教時代の大聖堂が建設され、聖レパラータに捧げられました。
聖レパラータは3世紀頃の殉教聖人です。貴族の女性でしたが、ローマ皇帝の迫害によって拷問を受け、殉教しました。
当時、この地域で最も壮大な教会の一つであり、聖職者や貴族たちによって賄われ北アフリカの職人によって造られた美しいモザイクの床は、この都市が活力を持っていたことを示しています。
14世紀に解体されるまで、初期キリスト教時代の建物は、中世からロマネスク期にかけて改装と拡張が繰り返されました。
どの時代の遺構がどこに残っているのか、わかりやすいマップがありました。
時代を追って拡大します。
立体模型もありました。細かい。
見学者は遺構を傷めないように保護してある通路を歩きながら見学します。
5世紀に造られた床モザイクは、9世紀の最初の改修工事で新しい床(テラコッタ・タイル、大理石など)に覆い隠され、床は約20cm高くなりました。今になって考えると、新しい床で覆われたから現在まで残ったんでしょう。
すっごく立派に残ってます。
とか
とか
ちなみに上の写真の中の文字は、寄進した人たちのご芳名。教会を入ってすぐの身廊にでかでかと表示されていたわけです。
また、幾何学模様が多い中で、孔雀が目を引きます。
孔雀
モザイクは5世紀に北アフリカの職人がつくったんです。この孔雀は当時、身廊の中央部分を華やかに彩っていたことでしょう。そして初期キリスト教時代の教会は長さ50m、幅25mと当時としては壮大な規模だったことが分かっています。
ロマネスク建築の遺構には、フレスコ画が残っています。
11世紀から13世紀にかけて造られたロマネスク建築の教会は、内陣部分を中心にフレスコ画に覆われていたそうです。上の写真は南側の小さい後陣部分に比較的よく残っているフィレンツェの工房による14世紀のフレスコ画。
14世紀に解体される直前まで、旧い聖堂には改修や装飾が繰り返されていたことを示していると思います。
また、上の写真のフレスコ画をみると、空間表現、目鼻や体の線にジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)の名前で知られる現実的、三次元的な描写を感じます。個人的な感想ですが。
フィレンツェ近郊出身と言われているジョットは13世紀終わり頃に最初期の作品群をサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に描いて、14世紀には既に高名だったそうだから、影響があるのがむしろ当然かも。
こういう現実的で三次元的な描写がルネサンスにつながったんだな~と思うと、フィレンツェって幾何学模様からいきなりルネサンスだった気がしてしまう。ロマネスク教会の壁を覆っていたという、失われたフレスコ画が見たかったもんだ。
クリプト見学、5世紀のモザイクに心を揺さぶられました。
次回、フィレンツェ(Firenze)<2>ではサン・ミニアート・アル・モンテ教会(Abbazia di San Miniato al Monte)に行きます。
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