2018年9月の旅行十三日目、最後の目的地はParay-le-Monial。イグランド(Iguerande)から北に約38km、車で約40分の道のりです。
ここでの目的はイエロン美術館(Musée du Hiéron)とサクレ=クール大聖堂(Basilique du Sacré-Cœur)。
駐車場に車を停めると、美術館の昼休憩の開始時刻が気になったので美術館に急ぎます。私が訪れた2018年9月は、12:30~14:00が昼休みでした。
イエロン美術館の入り口の前は舗装の工事中でした。
ここから入場です。
こちらの美術館では、受付で入場料€4を払うんですが、クレジット・カードは使えないとのこと。私は小銭も小額紙幣も持っておらず「これしか持ってないんです」と€50札を見せると「はい、大丈夫ですよ」とのこと。
時々、€50札は「もっと小さい額の紙幣はありませんか?」と嫌われますから、すんなり受け取ってもらえて良かった。
そして「あと40分ほどで昼休みに入りますが、ご見学なさいますか?」と見学時間が少ないことを確認されました。私は見たいものは一つだけだし、きっと十分でしょう。「はい、大丈夫です」と答えて、一路、目当ての扉口に向かいました。
あった!
目当ては、アンジー=ル=デュック(Anzy-le-Duc)の小修道院の西側にあった扉口。
上の写真の、向かって右に長いすがありますが、そこに案内が置いてありました。
このティンパヌムは、ブリヨネ地域における最後のロマネスク様式のティンパヌムのひとつで、その図像はシャリリュー(Carlieu)のティンパヌムに似ています。かつては、アンジー=ル=デュックの旧小修道院の西門でした。フランス革命後の1791年に取りはずされ、城に保管されていましたが、1896年頃に博物館に寄付されました。その後、1953年に博物館の中央ホールに再建されました。
2003年の修復時の調査で、彩色の跡が確認されました。12世紀のオリジナルか、その後の彩色かは明らかではありませんが、顔料の経年劣化の状態や、フランス革命後はオリジナルを尊重してきたことから、かなり古いものだと分かっています。
見つかった顔料によると、イエスのチュニックは赤、そしてマントは恐らく青でした。そしてティンパヌムの地にも同じ顔料が残っていることから青だった可能性があります。まぐさの地の色は明るい黄色とも考えられますが、これはアンダーコートだった可能性もあります。柱頭の植物装飾は緑でした。
お気づきの通り、全体は赤みがかった色をしていますが、これは、石灰岩そのものが酸化して変化した色です。
細部をみます。イエスの顔は修復かなと思います。
天使たちの体勢、かなり不安定ですよね。のけぞりのポーズ。
置いてあった案内には、シャリリュー(Carlieu)のティンパヌムに似ていると書いてありました。それがこちら。
似てると言えば、似てます。でも、シャリリュー(Carlieu)のは、まるで細密なレース編みですが、アンジー=ル=デュック(Anzy-le-Duc)のは、そんなに細かい彫りじゃないです。
さらに、他の部分を見ます。
まぐさには、聖母子と聖人たち。
ティンパヌムに昇天するイエスが描かれるとき、ティンパヌムとまぐさとで一つの場面を構成して、まぐさには使徒たちが描かれることが多いように思いますが、この扉口はティンパヌムとまぐさは別の場面が展開しています。
柱頭とアトラス。
存分に楽しんで、博物館の見学は終了。
次の目的、サクレ=クール大聖堂(Basilique du Sacré-Cœur)に向かいます。博物館から南に徒歩3分ほど。
見えてきました。
りっぱ!
まず、後陣から
りっぱすぎて、ひるむ。
すごいわ。こんなに祭室が積み重なっちゃって、まあ。
でも、アーチが半円形なせいか、不思議と威圧感はありません。
北扉口に行ってみます。
あら、きれい。
オリエンタルな印象です。
動物や人物のヘタウマ彫刻が好きな私ですが、こういう繊細でシンプルな装飾は、純粋に、きれいで見惚れます。
中に入りました。
うわ、おしゃれ。
このとき、北扉口から女性が一人はいってきました。交差部で立ち止まり、流れるような動きで祭壇に向かって片ひざをかがめながら身体の前で十字を切り、その後、翼廊の近くに行ってろうそくをともしました。
ここは祈りの場なんだ、と認識しなおしました。
有名な教会なので色々な本に書かれていますが、この教会にまつわる話はおおよそ以下のようなもの。
10世紀末ごろ、この地にベネディクト会小修道院が創設され、最初の修道院教会パレIが建設されました。その後、小修道院はクリュニーの傘下に入り、重要な小修道院のひとつとして発展し、11世紀初めには新たな教会堂パレIIが建設されました。
11世紀末ごろ、クリュニー大修道院長ユーグにより、新たなロマネスクの小修道院教会パレIIIの建設が決定され、13世紀初めに完成しました。
この大修道院長ユーグというのが、スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)を発祥とする貴族スミュール家のユーグです。あの一家を代表する有名人。
パレIIIはクリュニーIIIを模して造られましたが、クリュニーIIIが五身廊だったのに対して、パレIIIは三身廊です。
教会は、その後は悲劇的な時代に入ります。火災、16世紀の宗教戦争での略奪、放火。フランス革命後は教区教会になり、飼料置き場や厩舎などに使われました。
19世紀に入り、ようやく教会は修復され、ゴシック様式だった鐘楼がロマネスク様式に戻されるなどして、現在の姿になりました。
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps 『Bourgogne roman』に載っていたフロアプランがこちら。
左が北。
格子が11世紀初め、黒が11世紀末から12世紀初め、斜線が15世紀、白が近代の部分です。
見上げると、20世紀に再発見された、15世紀ごろのフレスコ画があります。私が行ったとき、周歩廊にはキリスト教の歴史が展示してありました。
ここで振り返りました。
西扉口の向こうに11世紀に遡るナルテックスがあります。身廊の中心線からズレてるのが特徴的。もともとあったパレIIのナルテックスに、後から作ったパレIIIをくっつけたからと言われています。
ナルテックスは11世紀のパレIIの遺構部分ですが、19世紀に修築されています。
教会の西側をみます。
美しいサクレ=クール大聖堂(Basilique du Sacré-Cœur)。来て良かった。
私はここで時間切れ。もう、出発しないと。
まず、ガススタンドで給油します。TGV駅に向かう途中のスタンドに行きました。
実は私、一人でセルフ・サービスで給油するのは初体験でした。このときを想定して、夫が一緒の間に給油の予行演習をしておきましたが、ちょい緊張気味。DIESELを給油してクレジット・カードで払えば良いはず。
エンジンを切って車を降り、DIESELを給油しようとしますがポンプからは何も出ず、クレジットカードの挿入口を探しますが、ありません。
困っていると隣で給油していた男性がフランス語で何か教えてくれますが、聞き取れませんでした。「来て下さい」といわれて一緒に、すぐ正面の店の中へ。
カウンターの店員は英語が堪能でした。なんと、事前にカウンターでお金を支払うシステムだそうで。えっ、そうなの?知りませんでした。お隣にいた男性と、英語が堪能な店員のおかげで、何とか給油を完遂できたのです。
旅先では特に、ひとさまの親切が身にしみます。
TGV駅への道は前回、車の後ろのトランクを全開したまま走った道(!)ですが、今回は大丈夫。駅に着くと営業所でレンタカーを返却してTGVに乗り、次の日の飛行機でパリから無事に帰国となりました。
さて、2018年9月の旅行はこうして全日程を終えました。
ブルゴーニュを駆け足で巡る中で、貴重な出会いに恵まれた一つ一つの場面が懐かしく思い出されます。
素晴らしい十四日間でした。
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