2018年9月の旅行十二日目の最後、五番目の目的地はSaint-Martin。スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)から西に約2km、車でわずか約3分の道のりです。
ここでの目的はサン=マルタン礼拝堂(Chapelle Saint-Martin)。
細い道を登ると、のどかな風景にとけこむ小さな礼拝堂がみえてきます。
車は手前に路上駐車しました。
歩いて進みます。
道の右側は、どうやら個人宅。花が美しく手入れしてあります。
西扉口が開いていることを確認して、ひと安心。
まず、周囲を見学します。
窓の開口部が、すごく小さいです。いかにもロマネスク建築。
ごつごつしてますよね、石がむきだし。
持ち送りはシンプルなものから面白いものまで。
南側が急斜面になっているので、転びそうになりながらも、踏ん張ってのぼってみました。持ち送りを目線の高さで写真におさめられて、うれしい。
面白い持ち送りを角度を変えてみます。
この、顔の持ち送り、インパクトおっきい。
ここから、遠くにスミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)のサン=ティレール参事会教会(Collégiale Saint-Hilaire)が見えました。
動画をユーチューブにアップしました。
教会の中に入ります。
動画をユーチューブにアップしました。
ぼろぼろだけど、小さくて素朴で、私の好きなタイプです。厚い壁と小さい窓が11世紀の造りという感じ。
こんな掲示がありました。
「これらの15世紀の壁画はボランティアのおかげで1999年に発見され保存活動が行われましたが、大変もろいので触らないでください」
というような内容でしょうか。
壁には、あちこちにゴシック様式のフレスコ画。ロマネスク様式もあったのかも知れないですが、色がはっきり残っているのは、どれもゴシックっぽい。
リーフレットが置いてありました。リーフレットによると、サン=マルタン礼拝堂(Chapelle Saint-Martin)は11世紀末に建設されました。13世紀にスミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)に参事会ができるまでは教区教会でしたが、その後は礼拝堂になりました。
案内掲示もありました。
フロアプランを拡大。
教会の中をじっくり、みます。
上の写真の窓を見ると、壁が厚いこと、厚い壁に朝顔状に開けた窓(朝顔口、embrasure)であることがわかります。
11世紀末から12世紀初め頃のロマネスク建築の特徴かな、と思うんです。モンソー=レトワール(Montceaux-l’Etoile)や、ボジ(Baugy)がそうでした。
灰色がかった水色の扉の向こうには小礼拝堂がありますが、この窓が造られた11世紀末頃には、この小礼拝堂は無くて、後から増築されたから、上の写真のような窓があるのだと思います。
漆喰が何層も重ねてあって、礼拝堂の壁には、まだまだフレスコ画が隠れていそう。
これにて本日の見学は終了です。
十二日目(木)に訪問したのは五箇所。
51. サン=モーリス=レ=シャトーヌフ(Saint-Maurice-lès-Châteauneuf)
52. シャトーヌフ(Châteauneuf)
53. ヴォバン(Vauban)
54. スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)
55. サン=マルタン(Saint-Martin)
グーグルマップを編集して訪問番号を加えました。
あっちでもこっちでも面白いのがみられて、この日も、素晴らしいロマネスク探訪でした。
翌日、十三日目(金)はロマネスク訪問は二箇所だけでその後、パリに移動します。6泊したAirbnbで鶏や牛に別れを惜しみつつ、しっぽりとブルゴーニュ最後の夜を過ごしました。
・
・
・
・
・
信教と教会との交流、歴史上の交信は民が信仰する戦禍の象徴では辛い非情。
治安と国際社会との微妙な駆け引き、互いの想いに戦争が利用されるのは尋常なルールなのだろうか。
マクロン大統領も、ルペンさんも、私は嫌いになれない。
観光とは万物普遍の礎、平等の平和主義で
在りたいし、病まない願いである。
旅行して中世の建築を訪ねることができるのは、究極の平和なのかもしれません。ありがたいことと思います。