スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)

2018年9月の旅行十二日目、四番目の目的地はSemur-en-Brionnais。ヴォバン(Vauban)から西に約17km、車で約20分の道のりです。

ここでの目的は昼食とサン=ティレール参事会教会(Collégiale Saint-Hilaire)。

この村、聖堂を含めて全体が美しくて、凛としています。なんたって、ここはフランスの最も美しい村(”Les Plus Beaux Villages de France”)だから。

告白すると、私は、そうと知らずに来ました。村の壁にあった案内を見て(あ、美しい村だったのね)と気づいたんです。

左下に美しい村のロゴがあります。地図は上が北。

上の写真で、IIが城(Château Saint Hugues)、VIIが目指す教会です。ちなみにXXは、次に見に行くサン=マルタン礼拝堂(Chapelle Saint-Martin)。

スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)を発祥とする中世の貴族、スミュール家の紋章は銀に赤のスリーベンドレット。上の写真の右上にある赤い三本の斜め線は多分、それを示しています。

そして、村じゅう、あちこちに赤のスリーベンドレット。

城(Château Saint Hugues)

さて、昼食。行ったのは、こちら。

右側が昼食場所で正面が目指す教会です。

L’Entrecôte Brionnaise
Rue Bouthier de Rochefort, 71110 Semur-en-Brionnais

中に入ると、バルコニー席か室内席かを選べましたが、バルコニー席は先客がタバコを吸っているのが見えたので、室内席にしました。

飲み物の種類が豊富。フルーツジュースにしました。
二皿定食€19がすごく魅力的でしたが、食べきれるか?
€13(カルパッチョ、フライドポテトとチーズまたはデザート)のセットを注文しました。

すぐに目の前の席は満席になり、温かい料理のいい香りが私の席まで届きます。€19のにしとけば良かった、と後悔してしまうじゃないの。

私のカルパッチョとフライドポテトが来ました。

カルパッチョとフライドポテト
デザートは五つ選べる中からガトーバスクにしました。大好きなもので。

カルパッチョもフライドポテトもデザートも美味しかったから良し。

さて、教会見学です。教会は店からすぐ。のんびりした村ですが、人がたくさん来てて、にぎやか。

店を出て、城の方を向く。まぶしそうにしながら歩く男性がいました。

太陽がまぶしくて摂氏30度超えの猛暑ですが、ひるむことなく、見学に突き進みます。

鐘楼と後陣

さらに近づきます。

八角形の鐘楼
鐘楼の一番上の部分

扉口か?って感じ。鐘楼がこんなになってるなんて。実に凝ってます。

持ち送りも、独創的で芸が細かい。

北側の扉口、繊細な彫刻が目をひきます。

北側

façadeの西扉口への期待が高まります。

façade

こりゃあ、すごい。写真で見たことありましたが、実物は、迫力倍増です。これでもか、とばかりに彫ってある。

ティンパヌムは、荘厳のキリスト、天使二人と福音書記者のシンボル 。

ティンパヌム

マルコ(獅子)は勇ましい姿。

ティンパヌム、部分

それに比べて、ルカ(雄牛)のかわいらしいこと!こういうの、大好きです。

ティンパヌム、部分

教会の中に置いてあったリーフレットによれば、まぐさにはサン=ティレール(Saint-Hilaire)の生涯が描かれています。

まぐさ

サン=ティレールは日本語で聖ヒラリウス。4世紀のポワティエ(Poitiers)の司教です。アリウス主義に抗して小アジアに追放された正統信仰の象徴とされ「 西方のアタナシウス」と呼ばれます。

まぐさの物語は左から右に進みます。

向かって左には、聖書を手にして巡礼者の袋を提げているサン=ティレール。追放されている場面です。

まぐさの中央には、低い椅子に腰をかけているサン=ティレール。これは359年のセレウキア(Seleucia)会議の場面。サン=ティレールは追放先で宗教会議に参加し、高い椅子に座る高位の聖職者たちに取り囲まれています。

右端は会議の議長や異端の擁護者の死を表しています。悪魔達にひどい目にあわされてます。

じっくりみます。

とにかく、細かく、びっしり。
こっちも負けずに、びっしり。
アトラス。股関節、おかしくないか?でも涼しい顔しちゃってます。
アトラス。手足が大きい。

教会の中に入ります。

高窓のある三層構造
北側廊
南側廊

教会の中にリーフレットが置いてありました。それによると、教会は12世紀の建築。スミュール(Semur)は、古くはsinemurusあるいはsenmurusと記録されていますが、それらの語源は不明です。

senemurumという言葉は丘の上の城塞都市を示していたようです。スミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais)は、ブリオネ地域の主要都市であり、貴族スミュール家の発祥の地です。同家で最も有名な代表的人物は聖ユーグ(Saint Hugues)、クリュニー修道院長(1049年〜1109年)です。

ってなわけで、クリュニーとの縁が深いんですな。

案内掲示もありました。

フロアプランを拡大。

教会の中をさらに見ます。

後陣

交差部の上を見上げると、すごい。

見上げると鐘楼の下の部分が八角形のランタン(lantern)になっていて、採光窓が四つあります。凝ってるなあ。

シャトーヌフ(Châteauneuf)も似た構造ではありましたが、規模や装飾の細かさは、こっちが上回ります。

後陣に目を戻すと、クワイヤの柱の装飾が、これまた秀逸。

重い、重いんですう、これ。
ん?オレは、へいちゃらだな、こんなの。

物語が聞こえてきそうです。

交差部からfaçadeを向く

これにて教会の見学は終了。丁寧に、力を尽くして造ってある教会だなと感じました。

教会を出て、南側を見つつ、車に戻ろうとした私。

大失敗に気づいたんです。

南側

教会の南に、参事会会議室(maison de chapitre)があります。

こんな表示があったので、中に入ってみました。

ブリオネ地方のロマネスク聖堂に関して、予想以上に充実した展示がありました。

ここ良かったな〜とか、楽しく旅を振り返っていたんです。そして、気づいてしまいました。

ああああああ〜!これ!

みるの、忘れた!絶対、みたいと思ってたのに。

イグランド(Iguerande)は十日目に行った場所です。その日は、車をぶつけたり、他の教会でも彫刻を見落としたりしましたが、さらにこれですよ。現地に行っておきながら、見落としたんです。

やあねえ。

時間をやりくりして、次の日にパリに移動する前に再度、イグランド(Iguerande)に行くことに決めました。

ショックでしばらく呆然としちゃいましたが、何とか気持ちを切り替えて、美しい村を出発したのでした。

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