2018年9月の旅行八日目、最初の目的地はNeuilly-en-Donjon。泊まっているAirbnb(Saint-Symphorien-des-Bois)から西に約54km、車で約50分の道のりです。
ここでの目的はサント=マリー=マドレーヌ教会(Eglise Sainte-Marie-Madeleine)。
八日目(日)の訪問予定は六箇所です。
34. ヌイイ=アン=ドンジョン(Neuilly-en-Donjon)
35. シャスナール(Chassenard)
36. モンソー=レトワール(Montceaux-l’Etoile)
37. ボジ(Baugy)
38. アンジー=ル=デュック(Anzy-le-Duc)
39. ヴァレンヌ=ラルコンス(Varenne-l’Arconce)
グーグルマップを編集して訪問番号を加えました。
34. Neuilly-en-Donjonと35. Chassenardは、ブルゴーニュ地方ではなく、オーヴェルニュ地方に属すようです。
さあ、出発だ!と車に乗り込んでスマホのグーグルマップを起動しようとしましたが、モバイルWifiがつながらない。滞在しているAirbnbは農園のど真ん中ですもんね、ネットワークのコネクションが弱いんです。でも、ナビなしだと、、、
私、運転できません。
しばらくあがいてみましたが、だめでした。あきらめて車載のカーナビを使います。車載のカーナビだと、ピンポイントに目的の教会を指定することは難しいので、ひとまずNeuilly-en-Donjon の町まで行って、その後のことは着いてから考えることにしました。
車載のカーナビ、なせだかスペイン語表示になってたので、英語表示に切り替えて、Neuilly-en-Donjon を目的地に指定して、出発です。そろそろガソリンの残量が気になり始めていたんですが、日曜なので近所のガススタンドは全部しまっていました。やばい。ネットにつながり次第、日曜もやってるガススタンドを検索しないと。
ネット依存度が高いと、こんなしっぺ返しが、あるんですねえ。
何とか無事故でNeuilly-en-Donjonの町に着きました。ホッ。とにかく路肩に寄せて停車して、スマホを取り出して現在地と目指す教会の場所を確認します。ここでもなかなかネットにつながらず、眉間にしわを寄せてスマホ画面に見入っていましたが、ふと気づきました。
あれ?見覚えがあるぞ、この道の感じ。グーグルマップのストリートビューで事前に確認したときに見たような。。。振り返ると、教会は目の前。
なんとまあ。
車を駐車場に置きなおしました。そしてトイレにも行きたかったし、教会の西向かいのカフェに行ってみました。閉まってるかなと思いましたが、ガラス扉の向こうで掃除していた若い女性店員さんに挨拶すると、ドアを開けてくれました。良かった!
クロワッサン🥐を食べたかった姉の注文に対して、笑顔がとてもかわいいその女性店員さんが持ってきてくれたのは、こちら。
姉と二人で楽しくなっちゃいました。巨大なバターが、どーん。予想のナナメ上を行ってます。
店の中から教会のfaçadeが見えます。
お会計とトイレを済ませて、いざ、教会へ。
façadeが、とても良いんです。
西扉口の装飾が、とにかく、素晴らしい。
後で詳しく見ることにして、とりあえず中に入りました。
祭壇を背にしてfaçadeを振り返ると、こうなります。
上の写真に写っている、こちら、リーフレットが置いてある棚なんです。
立派ですよね!リーフレットは、フランス語版だけでなく英語版やドイツ語版も。
この立派なリーフレット棚、この後で見学した各所で見かけて、各教会のリーフレットが置いてありました。とてもありがたかったです。
さらに、このリーフレット棚の近くに、案内掲示がありました。
案内掲示によれば、マルシニー(Marcigny)の小修道院に付属する教会としてマグダラのマリアの名の下、11世紀から12世紀に建築されたロマネスク教会です。
クワイヤは近年、修復されたそうで、2008年以前の様子がわかる写真が掲示してあります。どうやら、その近年の修復で白く塗り塗りされちゃってます。
左下に、こちらの司祭だったジャン・ロドリゲス(Jean Rodriguez)神父の言葉があります。良いなと思ったので、引用します。
はじめに 1945年9月にヌイイ=アン=ドンジョンの司祭(priest)に任命され、私は、初めて聞く名前の村に連絡をとりました。村に着き、この小さな教会を見て、さらに中を見て、がっかりしました。一部が崩壊していましたし、15年間も司祭が不在だった教区教会でした。しかし、私の目は扉口のティンパヌムにくぎづけになったのです。そしてこの一目が、全てを受け入れる助けになりました。この教会を訪問する人は、きっと私と同じ反応をすることでしょう。この小冊子の目的は、1)ブリヨネとブルゴーニュのロマネスク美術についての考古学的な発表をすることよりも、訪問者の心が温まるようにと願いながら作品の意味を解釈すること、2)神の家を尊重し、創造主、精霊とイエス・キリストを愛するためにこの教会に行ったことについて、無駄な栄光や虚偽の謙虚さなしに、ごく単純に伝えることなのです。 修道院長 ジャン・ロドリゲス 教区司祭
ロドリゲス神父が書いた、その小冊子というのは、こちら。
ロドリゲス神父は複数の修復を行いました。例えば、ふさがれていたロマネスク様式の窓を開けて、ステンドグラスを入れたそうです。また、ぼろぼろだったクワイヤは、調べると、もともとの石の状態がとても素晴らしかったから、石を見せるようにしたそうです。小冊子に掲載されていた写真がこちら。
上の写真のうち、右下が1960年代のロドリゲス神父による修復後の状態です。個人的には、1963年以前(左上)のごちゃっとした状態より、近年の修復で白く塗り塗りされた今の状態より、美しい石積みが見えるロドリゲス神父バージョンが好き。
さて、そのロドリゲス神父がくぎづけになった、西扉口に戻ります。
ティンパヌムは1140年頃のもの。聖母マリアが幼子イエスを抱き、三博士が礼拝しています。
足の下にいるのはルカ(雄牛)とマルコ(獅子)。
聖母マリアの向かって右にいるのは多分、マタイ(翼の人)。でも、四福音書記者のうち、ヨハネ(鷲)がみあたらないんですよね。そのスペースを三博士がとっちゃったからでしょうか。
北側の柱頭は、ロドリゲス神父によると「雲から落とされる魔術師シモン」かもしれないそう。
その南側、まぐさの向かって左には、アダムとエバ(『創世記』3章)。
大きなへそのエバの隣で、誘惑する蛇の顔がかわいい。
アダムとエバの隣は、マグダラのマリアが涙でイエスの足をぬらし、髪の毛でぬぐっているところ(『ルカによる福音書』7章)。
この教会はサント=マリー=マドレーヌ教会ですから、マグダラのマリアに捧げられています。目立つポジションはむしろ当然。
そのお隣では、使徒たちが一列に並んでいます。
ずら~り。
南の柱頭は、獅子の穴の中のダニエル。預言者ハバククが天使と一緒に、バビロンの獅子の穴の中にいるダニエルに食事を届けています。美味しそう。
じつに素晴らしい彫刻です。
1945年に、この扉口の装飾をみたロドリゲス神父の気持ちを思いました。
サント=マリー=マドレーヌ教会(Eglise Sainte-Marie-Madeleine)、心が温まる教会です。
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