2018年9月の旅行六日目、二番目の目的地はCluny。ベルゼ=ラ=ヴィル(Berzé-la-Ville)から北に約12km、車でわずか15分の道のりです。
ここの目的は当然、クリュニー修道院(Abbaye de Cluny)。超有名な場所ですから、いっぺん行っとかないと、と思ったわけです。
Berzé-la-Villeの礼拝堂を見学した時、近隣のモニュメントの紹介が掲示してありました。クリュニー修道院の説明もあったんです。
それによると、クリュニー修道院は910年にアキテーヌ公によって創建されました。聖ペトロと聖パウロに土地を寄進したんです。だから領主や司教の支配を受けないよう、使徒たちの精神を受け継ぐ法王の権限直下におかれ、修道院はベネティクト会の規律に従って運営されました。
クリュニーは修道院改革のモデルになり、すぐにヨーロッパ全域の多くの修道院が系列に入りました。
11世紀末までにクリュニーはヨーロッパのキリスト教社会にとっての中心地になり、クリュニー系修道院は約1400、修道士は1万人にのぼりました。
1088年、大修道院長の Hugues de Semur は神とクリュニー修道院の力を示すために修道院教会を建設することを決めます。
それは高さ30メートルに達するヴォールトを持つ過去最大のロマネスク教会で、クリュニーIIIと呼ばれ、その後400年にわたって世界最大のキリスト教寺院であり続けました。
とは言え、凋落の道をたどるのです。偉大な大修道院長が代わる代わる現れたり、18世紀に新しい建物が建てられたりしましたが、フランス革命が決定的な打撃になりました。激しく破壊され、売却されて、偉大なロマネスク芸術は無残なことに。
クリュニーIIIで現存しているのは、わずかな部分だけ。大交差部、南翼廊とその上の二つの鐘楼、そしてその辺りの壁のみです。往時のクリュニーIIIの姿を伝えるビデオが見学の最初に上映されます。
Berzé-la-Villeの礼拝堂でこの説明を読んだとき、そっか、クリュニーは、めっちゃ、おっきいんだな、と改めて覚悟しました。(私は巨大な聖堂が得意ではありません)
ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps 『Bourgogne roman』に載っていたフロアプランがこちら。往時の様子です。東が上です。
さて、見学です。私はクリュニー修道院の東に大きい時間貸し駐車場があるので、そちらに車を停めました。そしてクリュニー修道院の方に歩いて行くと、こんな案内表示が。西が上です。
見学を始めると、オーディオガイド、案内や説明がしっかり用意してあって、さすがだなと思いました。
大交差部に来ました。
クーポラです。
縦の構造は三層になっています。
30メートル級の高さ。
この広〜い大交差部は、破壊される前のクリュニーIII 全体のうち、たったの5%だと掲示されていました。
そして往時のクリュニーIII には、溢れるほどのフレスコ画や彫刻があったんだそうです。
クリュニーII の遺構もありました。
古代遺跡みたいに、ここにありました、っていう床があるだけ。寂しい限りです。
私は、クリュニーII が、残ってて欲しかったです。
外に出て、鐘楼を見上げました。
大きな柱の、ベース部分だけが残っていて、写真の手前部分に写ってます。
人の姿と比べると、大きな柱をそなえた高い建物だったって実感。
面白かったのは、主なヨーロッパの聖堂建物とクリュニーの建物が示されていた、この案内。すごく横に長かったので、四つに分割して写真におさめました。
行ったことのある聖堂の図面に見入っちゃいました。
行った時に大きい!と感じた聖堂より、クリュニーIII が大きいからびっくり。多分、ローマのサン・ピエトロができるまではクリュニーIIIが最大だったんでしょう。
クリュニーのところだけ、拡大。
このあと、かつての穀物庫に行きました。
入り口は(写真に写っている)ハの字の形の階段を上った扉です。
階段を上って修道院の方向を振り返りました。
奥に鐘楼が見えます。
穀物庫に入ると、12世紀の柱頭彫刻が展示してありました。
ご紹介します。
穀物庫を出て、東にある駐車場に向かって歩いていると、北側の数百メートルむこうに円形の塔(Tour ronde)が見えました。
巨大なクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)、繁栄の跡を感じることができます。
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