2018年9月の旅行五日目、五番目の目的地はLaizy。オータン(Autun)から西に約12km、車でわずか約15分の道のりです。
ここでの目的はサン=ジュリアン教会(Eglise Saint-Julien)。
車を走らせていると、教会の鐘楼が見えてきました。
牧歌的な風景が気に入って、車を路肩に寄せて停めたんです。
教会への道もわかりやすく、ひろ~い駐車場があります。ありがたい。
いやね、ここに来る前、Autunで、駐車場から車を出して町から出ようとしたとき、困ったことになったんです。
スマホのグーグルマップにナビしてもらってたんですが、どうも車では通れそうにもない道ばかりを案内するので、迷いに迷いました。しまいに町の中心部で立ち往生してしまい、後続車がどんどん来る中で、
どどど、どうしよう?となって。
真後ろの車にバックしてもらってきりぬけ、なんとか広い場所に移動して停車。心を落ち着けてスマホを確認すると、ナビの設定が歩行者用のままでした。駐車場から大聖堂に行く時、念の為にナビを使ったのを忘れてて。
どんだけポンコツなんだ、私。
車に乗って目的地をLaizyに設定したは良いけれど、ちゃんと移動手段の設定を車に切り替えていなかったというわけでして。設定を車に切り替えてようやく町を脱出できたんです。
こういうのがあった直後、この穏やかで牧歌的な情景(と車にやさしい町並み)に心が洗われました。
東側の後陣はこんな感じ。
円形がロマネスク教会だったんだな、って思わせてくれます。
西側にまわって、façadeへ。
この角度からだと、全然ロマネスク教会って感じじゃないですねえ。17世紀に火事があって、その後、建物の補強のためにバットレス(主壁に対して直角方向に突き出した控え壁)が加えられたそうです。
事前に私の訪問予定日に教会が開いているか、鍵を借りる必要があるかを役場に問い合わせると、こんな返信がありました。
L’église est toujours ouverte en journée, sinon s’adresser en face chez XXXX.
(教会は日中はいつも開いています。もしそうでないときは向かいの家のXXXXにおたずねください。)
façade です。扉、開けてありました!
この日は朝から
17. トゥルニュ(Tournus)
18. シャロン=シュル=ソーヌ(Chalon-sur-Saône)
19. ラ・ロシュポ(La Rochepot)
20. オータン(Autun)
と回ったんですが、うち三つは開いてて当然の「大聖堂」。
ただ一つだけ「教会」だったのが La Rochepot で、なんと閉まってたんです。ショックでした。だからなおさら、ここ、Laizy の教会が開いていて心がはずみました♪
早速、中に入ります。ラテン十字の三廊式。
南側廊、東方向。
北側廊、東方向。
祭壇の前まで行って、façade を振り返ります。
良さそうな彫刻が、あるでしょ?
ほら、上に。
もう少し見やすい写真がこちら。
かわいい。
Le site sur l’Art Roman en Bourgogne によれば、 Laizy の歴史は帝政ローマがガリア(今のフランスと北イタリア)を支配していたガロ・ローマ時代に遡り、ヴィッラ(villa)と呼ばれるローマ人の別荘がありました。6世紀にAutunの司教の、7世紀に大聖堂の所有となります。10世紀には教会が存在していて、12世紀にロマネスク教会が建てられました。
クワイヤの柱頭彫刻が素晴らしいんです。
拡大
別の角度から
これも、かわいい。
こんなのや
こんなのも
多分、一番この教会で有名なのは、こちら。
「エマオの晩餐」『ルカによる福音書』24章。
復活したイエスがエマオという村に向かう二人の弟子と会ったのに、二人はイエスと分かりません。一緒に食事の席に着いたとき、イエスがパンを裂いてお渡しになると、二人の目が開け、イエスだと分かった、という場面。預言者の言葉を信じない人に、イエスがちくりときついことを言います。
別の角度から
衣のひだや、手足、顔の表現がリズミカルで生き生きしてます。
あー、見に来て良かった!です。
心も落ち着くサン=ジュリアン教会(Eglise Saint-Julien)でした。
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