オータン(Autun)<2>

サン=ラザール大聖堂(Cathédrale Saint-Lazare)、旧図書室の柱頭彫刻(12世紀)の続きから。

「カインに問う神」

『創世記』4章9節
主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」

カイン、アベルを殺したうえに、嘘までついちゃいました。

「カインの死」

カインの死については聖書には書かれていません。外典の記述を参考にしています。外典によれば、カインの子孫であるレメクが、年寄りで目も不自由なのに狩りに行き、若い息子の言う方向に矢を射て、誤ってカインを射殺してしまうんです。

お次は、こちら

「ユダの首吊り」『マタイによる福音書』27章

「二つの美徳と二つの悪徳」慈悲と忍耐が貪欲と憤怒の頭の上に立ち、勝利を象徴する聖杯を持っています。

「教会の贈呈」現地の案内によれば、信徒と司教(写真右の十字架を持っている人)が教会の模型を持っています。大聖堂が建てられた土地を寄進したブルゴーニュ公爵と司教を描いているのかもしれないそうです。

さらに、イエス生誕の場面を伝える柱頭がたくさん展示されています。

イエス生誕の場面は、『マタイによる福音書』2章にこう記載されています。

1:イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 
2:言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
3:これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
4:王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
5:彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6:『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7:そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
8:そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
9:彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
10:学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
11:家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12:ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
13:占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
14:ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
15:ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
16:さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
17:こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

どどどどっと、この部分の場面が展開しますよ。いきます。

「東方三博士とヘロデ王」

新約聖書『マタイによる福音書』2章8節。ヘロデ王が「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言う場面です。ヘロデ王は嘘を言っています。本当は拝むためじゃなく、自分の立場を危うくするその子を殺すつもりだったんですよ。

「東方三博士の礼拝」

『マタイによる福音書』2章11節
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

角度を変えて見ます。

お次はこちら。

「東方三博士の夢」

『マタイによる福音書』2章12節。
夢で「ヘロデのところへ帰るな」とお告げがあった場面。天使が指をツンツンしてるのがかわいい。

お次はこちら。

「エジプトへの逃避」

『マタイによる福音書』2章14節
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、

という場面。ヨセフ、なかなか大変です。

角度を変えて見ます。カメラ目線のロバが良いでしょ。

現地にファイルが置いてありました。旧図書室に展示されている柱頭が、もともと大聖堂のどこにあったかを示しているようです。

上の図の左上にPortal Nord(北扉口)とありますが、私がさっき入ってきた東扉口のことだと思います。

5「東方三博士の礼拝」(新約聖書)
6「東方三博士とヘロデ王」(新約聖書)
7「東方三博士の夢」(新約聖書)
8「エジプトへの逃避」(新約聖書)
20「三つ頭の鳥」
23「教会の贈呈」
24「カインに問う神」(旧約聖書)
26「カインの死」
25「ユダの首吊り」(新約聖書)
29「二つの美徳と二つの悪徳」
63「バラムとロバ」(新約聖書)

どの場所にどの彫刻を配置するかって、けっこう重要なんじゃないかと思うんです。大聖堂に入ってすぐ目にする場所、とか、祭壇に近い場所、とか、考えて配置しそうですから。

日ごろ、とても見づらい高い場所にある柱頭彫刻が目の前でしっかり見られて、旧図書室の見学は大満足でした。

これにて大聖堂の見学終了。

次にロラン博物館(Musée Rolin)に行きます。大聖堂の北東すぐそばです。2018年9月現在、博物館は13時から14時は昼休みでした。博物館は見学料が一人€7.5かかります。

気に入ったのは、こちら。

顔の表情といい、手の表現といい、なんとも良い感じです。そして右の装飾模様も控えめながら生き生きしててすばらしい。

そして多分、一番有名なのが、こちら。

「エバの誘惑」12世紀。

憂いをおびた表情、流れる髪や身体の線がとても美しい。

現地の案内によれば、サン=ラザール大聖堂のまぐさ石だったそうです。1766年に司教座聖堂参事会(chapter)が「野蛮な趣味だ」という理由で複数箇所を破壊したとき、この「エバの誘惑」は石材として売却されました。

1866年にオータンのシャン・ド・マルス広場(place du Champ de Mars)12番地にあった hôtel Dorsenne で再発見されて建築家が買い取り、この建築家が1910年に亡くなると Société Eduenne という協会の副会長が4658.75フランで買い取ったとのこと。

1482年の記録には、まぐさ石はアダムとエバだったと書いてあるそうなので、アダムもいたはず。アダムはどこに行っちゃったんでしょうねえ。

このエバ、とても魅力的だったから今も残っているのかなと思うんです。昔の人も、こんな美しい彫刻を失うなんて、できなかったんじゃないかと。

約900年のときを超えて誘惑するエバです。

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