サン=パプル(Saint-Papoul)

2025年8月5日(火)の最後、二番目に訪れたのはSaint-Papoul、Abbaye-Cathédrale de Saint-Papoulです。

ここは、後陣の軒下の彫刻が素晴らしいです。

2025年、修道院は以下の日程で開いていました。有料(€6)でした。
7月と8月は毎日10:00〜19:00
4月、5月、6月、9月と10月は毎日10:00〜12:00と14:00〜18:00
2月、3月、11月と12月は日曜午前を除く週末10:00〜12:00と14:00〜17:00
ただし、クリスマスから1月は閉まりました。

目次

1. Saint-Papoul .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観 .
6. 内観(北壁) .
7. 内観(イコノスタシス) .
8. 内観(後陣) .

1. Saint-Papoul

サン=パプル(Saint-Papoul)は、オクシタニー地域圏オード県にあり、県都であるカルカソンヌの約25km北東に位置します。

修道院は、村の西端、ランブ(Lambe)川のせせらぎの東岸にあります。

東側遠景

上の写真で正面に見えている建物は、宿坊(Maisons de chanoines)だった建物です。案内図に⑦と示されています。

案内図

半円アーチの門をくぐり、見学料を支払うと、見学開始です。

2. 概要

修道院の中に案内パネルがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

この修道院は、1317年から1790年まで大聖堂として機能し、34人の司教が代々務め、そのうち7人は枢機卿となった。

伝承によれば、殉教者聖パプルス(Saint-Papoul)はこの地方の伝道者であり、トゥールーズ初代司教である聖サトゥルニヌス(Saint Sernin)の弟子であったという。

8世紀、この地方に定住していた隠者たちは、現在の場所に移り、修道院を建立した。

この修道院に関する最古の記録は、817年のルイ敬虔王による文書である。この文書には、サン=パプル(Saint-Papoul)およびラングドック地方の他の18の修道院が、収入が乏しかったため、皇帝に対して祈りを捧げることでしか義務を果たせなかったことが記されている。

11世紀、聖ベランジェ(Saint Bérenger)が修道院に居を構え、彼が従うベネディクト会規律に従って禁欲的な生活を送った。彼の死後、奇跡を起こすと評判の墓に、多くの巡礼者が参拝に訪れた。

12世紀には衰微した修道院はアレ(Alet)修道院の支配下にあったが、1209年にヴィルスピ(Villespy)の領地を購入したことからもわかるように、13世紀には繁栄を取り戻したようである。

しかし、サン=パプル(Saint-Papoul)が黄金期を迎えたのは14世紀のことである。1317年、カトリック教会を強化するため、教皇ヨハネス22世はトゥールーズ大司教区と、サン=パプル(Saint-Papoul)を含む七つの新たな教区を設立した。

この時期に、修道院教会は大聖堂へと改築された。

14世紀の初代司教がクワイヤを整備し、参事会室を建設しました。複数の略奪や地震の被害ののち、15世紀の司教が主祭壇、クワイヤの装飾、回廊の屋根の修復、そして司教邸の改修などを行いました。

大聖堂は宗教戦争の被害を免れず、1595年にはユグノー軍が教会と聖職者地区を略奪した。その結果、17世紀には大規模な修復工事が必要となった。

フランス革命の際、司教区は廃止され、カルカソンヌ司教区に統合された。大聖堂は単なる教区教会となり、司教邸は国有財産として個人に売却された。その後、ピアリスト会の修道士たちがそこに児童施設を設立した。公共の所有となった回廊は荒らされた。

各自治体は、修道院複合施設が歴史的建造物に指定されるまで、その維持管理に尽力した。教会は1840年に、回廊は1842年に保護された。

この後も、案内パネルを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内パネルによる平面図です。東が右です。

案内パネルより

4. 内観

修道士の食堂(Réfectoire des Moines)には、カベスタニーの親方(Le Maître de Cabestany)に関する展示があります。

修道士の食堂(Réfectoire des Moines)

私は2018年3月にカベスタニー(Cabestany)にあるロマネスク彫刻センター(Centre de Sculpture Romane)を訪問し、カベスタニーの親方(Le Maître de Cabestany)について書きました。

ここサン=パプル(Saint-Papoul)では、このように紹介されています:

カベスタニーの親方とは誰か?
無名の彫刻家
カベスタニーの親方は、12世紀後半の地中海ロマネスク彫刻における重要人物である。
自身の作品に署名を残していないため、この名は1944年、美術史家のジョゼップ・グディオル(Josep Gudiol)によって、彼の最も重要な彫刻のひとつである、フランスはピレネー=オリアンタル県のカベスタニー(Cabestany)にあるノートルダム=デザンジュ(Notre-Dame-des-Anges)教会のティンパヌムに基づいて名付けられた。その極めて独特な様式により、彼に一連の作品群が帰属することとなった。彼自身、あるいは彼の工房や芸術的サークルによって制作された彫刻作品は、約120点に及ぶ。

作風
カベスタニの親方の作風は、同時代の他の作家とは一線を画し、強い個性を表している。その彫刻は非常に表現力豊かで、「虚無への嫌悪」を特徴としている。空間は人物で埋め尽くされているのである。ずんぐりとした体躯を持つこれらの人物は、指が異様に長い手をしている。衣服には無数のひだが刻まれている。顔は三角形で、額は低く、鼻筋は鋭く、顎はほとんどなく、耳は高く突き出ている。眼球が飛び出したアーモンド形の目は、二つの穴で強調されていることが多い。

放浪の芸術家
こうした特徴の数々により、親方とその一派の足取りをたどることができる。彼らは現場から現場へと移動し、主にフランス・オード県のラングドック地方、フランス・ルシヨン地方、スペイン・北カタルーニャ地方(サン=パプルからジローナの間)の宗教建築を装飾したが、スペイン・ナバラ地方やイタリア・トスカーナ地方でも活動した。

独特の作風の影響がうかがえる作品は現在、以下の場所を含む各地にあります。

フランス🇫🇷:カベスタニー(Cabestany)、リュー=ミネルヴォワ(Rieux-Minervois)、ル・ブール(le Boulou)、サン=ティレール(Saint-Hilaire)、サン=パプル(Saint-Papoul)

スペイン🇪🇸:バルセロナ(Barcelona)、ジローナ(Girona

イタリア🇮🇹:カステルヌオーヴォ・デッラバテ(Castelnuovo dell’Abate)、サン・カシアーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザ(San Casciano in Val di Pesa)

5. 外観

回廊の西ギャラリーから外に出て、東に行きます。

後陣をみます。

後陣の屋根は、魚の鱗のように石を並べた独自の葺き方です。

北東側外観

後陣の軒下に持ち送りがあります。

持ち送りを二つご紹介します。

持ち送りもまた、特に人間の頭部の表現において、この親方の確かな技量を示している。人間の頭部のほか、怪物の頭部、ライオン、そして山羊も彫られている。

カベスタニの親方(Le Maître de Cabestany)の工房の職人たちの特徴のひとつは、地元の素材、具体的にはサン=パプル(Saint-Papoul)産の砂岩を使用していることである。

持ち送り1
持ち送り2

私が注目したいのは、柱頭です。

後陣の軒下に、八つの柱頭があります。

案内パネルより

1: 角笛を吹く者たち
2、6、7: コリント式に基づく植物文様
3: 動物を食い尽くす獅子たち
4: 獅子の穴の中のダニエル
5: バビロニア人たちへの懲罰
8: 向かい合う獅子たち

後陣の東端にある二つの柱頭(4と5)をご紹介します。

「獅子の穴の中のダニエル」(旧約聖書『ダニエル書』6章、旧約聖書続編『ダニエル書補遺 ベルと竜』)

『ダニエル書補遺 ベルと竜』00章
28: バビロニア人たちは、このことを聞いて非常に怒り、王に抗議するために集まって、言った。「王はユダヤ人になってしまった。ベル神を打ち壊し、竜神を殺し、その祭司たちを滅ぼした。」
29: そして王のもとにやって来て言った。「ダニエルを我々に渡してください。さもなければ、あなたと御家族のお命をいただきます。」
30: 王は、彼らがあくまでも主張するのを見て、しかたなしに、ダニエルを彼らに渡した。
31: 彼らは、ダニエルを獅子の洞窟に入れた。彼はそこに六日間入れられた。
32: ところで、その洞窟には七頭の獅子がおり、毎日、人間二人と二匹の羊がえさに与えられていた。しかしこの度は、ダニエルを食い尽くさせるために、何もえさを与えていなかった。
33: さて、ユダヤに預言者ハバククがいた。彼はシチューを作り、パンを裂いて器に入れ、刈り入れをしている人たちに届けるため、畑に行くところだった。
34: そのとき、主の使いがハバククに言った。「あなたが持っているその食べ物を、バビロンの獅子の洞窟にいるダニエルのところに持って行きなさい。」
35: ハバククは言った。「主よ、わたしはバビロンを見たこともなく、ましてその洞窟など知りません。」
36: すると主の使いは、ハバククの頭のてっぺんをとらえ、髪の毛をつかむやいなや、息の一吹きで、彼をバビロンの洞窟の前に立たせた。
37: ハバククは大声で言った。「ダニエル、ダニエル、この食べ物を受け取りなさい。神があなたに送ってくださったのです。」
38: ダニエルは言った。「神よ、あなたは、わたしを思い出してくださいました。あなたを愛する者たちをお見捨てにならないのです。」
39: そしてダニエルは立ち上がって、それを食べた。すると神の使いはハバククを、直ちに元の場所に帰した。
40: さて、七日目に、王は、ダニエルを悼むためにやって来て、洞窟の前に立ち、中をのぞき込んだ。なんと、ダニエルはそこに座っていたのである。

中央がダニエルで、向かって右上のハバククから食べ物を受け取っています。彼らの周りに七頭の獅子がいます。

「獅子の穴の中のダニエル」

「獅子の穴の中のダニエル」の隣にある柱頭は、それに続く場面です。

「バビロニア人たちへの懲罰」(旧約聖書『ダニエル書』6章、旧約聖書続編『ダニエル書補遺 ベルと竜』)

『ダニエル書補遺 ベルと竜』00章
41: 王は大声で叫んで言った。「ダニエルの神である主よ、あなたは偉大な方です。あなたのほかに神はいません。」
42: 王はダニエルをそこから引き上げると、今度は彼を亡き者にしようとした者たちを洞窟に投げ入れた。彼らは王の見ている前で、瞬く間に食い尽くされた。

バビロニア人たちが、獅子たちに食い尽くされています。

「バビロニア人たちへの懲罰」

Abbaye-Cathédrale de Saint-Papoul。後陣の軒下の彫刻が素晴らしいです。

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